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兵乱
「兵乱〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
兵乱の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
十四日に、家康が大阪に遣した最後通牒は、次ぎの通りだ。 一、秀頼の封邑中、去年の
兵乱に摂津の百姓離散せるは疑うべからざるも、河内は然らず。(之は変だが、つまり秀....
「応仁の乱」より 著者:菊池寛
戦乱の勃発 唯ならぬ雲行きを見て、朝廷は、文正二年三月五日に、
兵乱を避ける為め改元をした。応仁とは、 「|仁之感響」と云う句から菅原|継長が勧....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
たと言って、大原卿はその心配をひそかに松平春嶽にもらしたという。 当時、京都は
兵乱のあとを承けて、殺気もまだ全く消えうせない。ことに、神戸|堺の暴動、およびそ....
「太虚司法伝」より 著者:田中貢太郎
馮大異は上蔡の東門にある自分の僑居から近村へ往っていた。ちょうど元の順帝の至元丁丑の年のことで、恐ろしい
兵乱があった後の郊外は、見るから荒涼を極めて、耕耘する者のない田圃はもとの野とな....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
いに驚かされた。彼はそれから十日を過ぎずして死んだ。 餅を買う女 宣城は
兵乱の後、人民は四方へ離散して、郊外の所々に蕭条たる草原が多かった。 その当時....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
せんから、左様御承知をねがいます」 竹人、木馬 宋の紹興十年、両淮地方の
兵乱がようやく鎮定したので、兵を避けて江南に渡っていた人びともだんだんに故郷へ立....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
めて置きました」 梁氏の復讐 戴十というのはどこの人であるか知らないが、
兵乱の後は洛陽の東南にある左家荘に住んで、人に傭われて働いていた。いわゆる日傭取....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
た。彼は獄につながれて死んだ。 韓氏の女 明の末のことである。 広州に
兵乱があった後、周生という男が町へ行って一つの袴(腰から下へ着ける衣である)を買....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
を垣墻悉く破壊し、宮中の内膳司屋顛倒して、圧死者を出した。陰陽寮で占わすと東西に
兵乱の兆があると奏した。天慶は将門純友の東西に蜂起した年である。貞元元年六月の地....
「雪の宿り」より 著者:神西清
わたくしも、こう成りましては腹巻の一つも巻かなくてはと考えましたが、万が一にも雑
兵乱入の砌などには却って僧形の方が御一統がたの介抱を申上げるにも好都合かと思い返....
「『七面鳥』と『忘れ褌』」より 著者:佐藤垢石
月に入ってからも、それが消え去らなかった。祈祷師の六物空万はこの彗星を占って、『
兵乱の兆である』と上書したのである。 されば、井伊大老の謀叛を信ずるものが段々....
「瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
くるも毫も心に関せず、心に関するところはただ利益の一点にして、或は商人のごときは
兵乱のために兵器を売付くるの道を得てひそかに喜びたるものありしならんといえども、....
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
び、つづいて三国、つづいて六朝、唐はわずかに二百九十年の代を保ったが、その間にも
兵乱は歇む時なく、さらに五代の乱れとなる。宋は金に苦しめられ、金は元にほろぼされ....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
貫の五郡であって、紫波・岩手等その以北には及んでおらぬ。これはその以北の地が当時
兵乱の巷となること少く、土民の疾苦多からざりしという理由もあるべく、必ずしもこれ....
「餅を買う女」より 著者:岡本綺堂
入されたものであるらしく、宋の洪邁の「夷堅志」のうちに同様の話がある。 宣城は
兵乱の後、人民は四方に離散して、郊外の所々に蕭条たる草原が多かった。 その当時....