兵学[語句情報] » 兵学

「兵学〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

兵学の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
三つの窓」より 著者:芥川竜之介
K中尉の心もちはこの海戦の前の出来事の記憶と対照を作らずにいる訣はなかった。彼は兵学校へはいったものの、いつか一度は自然主義の作家になることを空想していた。のみ....
最終戦争論」より 著者:石原莞爾
ナポレオンの用兵術を徹底的に研究したクラウゼウィッツというドイツの軍人が、近代用兵学を組織化しました。それから以後、ドイツが西洋軍事学の主流になります。そうして....
空襲葬送曲」より 著者:海野十三
りはございますですが」 「四時間では、指揮をするだけでも、大変だぜ」 「松戸の工兵学校は、もう仕事を終えている頃ですから、直ぐ応援して貰ってはどうです」 「工兵....
川中島合戦」より 著者:菊池寛
雁の声 などある。現代の政治家や実業家の歌などよりは、はるかにうまい。 また兵学に精通し、敬神家で、槍は一代に冠絶し、春日の名槍を自在に繰り、剣をよくして、....
流行暗殺節」より 著者:佐々木味津三
引いて、直人も、のそのそと二階へあがった。 敷地の選定もきまり、兵器廠と一緒に兵学寮創設の案を立てて、その設計図の調製を終った大村はほっとした気持でくつろぎ乍....
」より 著者:島崎藤村
に立ち話する次郎の旧い遊び友だちを見いだす。ある若者は青山師範へ。ある若者は海軍兵学校へ。七年の月日は私の子供を変えたばかりでなく、子供の友だちをも変えた。 ....
二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
前には大外交家小村侯爵はタシカ私立法律学校の貧乏講師であった。英雄広瀬中佐はまだ兵学校の寄宿生であった。 二十五年前には日清、日露の二大戦役が続いて二十年間に....
八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
はじっと考え込んだが、 「考えていても仕方がない。味方を知り敵を知るは必勝の法と兵学にもある。これから窃り出かけて行き、水狐部落の様子を見よう」 スッと立って....
八幡太郎」より 著者:楠山正雄
て、 「がんの乱れて立つ時は伏兵があるしるしだということは、匡房の卿から教わった兵学の本にあることだ。お陰で危ないところを助かった。だから学問はしなければならな....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
成績が上らぬので軽蔑されてる生徒であった。 柏原という卒業生の非常な秀才が海軍兵学校に入学していたのが、急性肺炎で亡くなったと聞くと、校長は、がっかりしたよう....
娘煙術師」より 著者:国枝史郎
方共ノ仕業ニ相聞エ、重科ノ者ニ付死罪|申付ベキ者ニ候|処、大弐、右門|企ノ儀ハ、兵学雑談、或ハ堂上方ノ儀、其外恐入候不敬ノ雑談|申散候ハ、其方共|申立ヨリ相知レ....
アーニイ・パイルの前に立ちて」より 著者:小林一三
十年は一昔、丁度十年前に、私は、巴里の国立劇場グランドオペラに開催された海軍兵学校の慈善演劇会に、佐藤大使のお招きを受けて、大統領御臨席の夜会に出席したので....
明治哲学界の回顧」より 著者:井上哲次郎
教思想(すなわちクリスト教)であったが、それに次いで医学、化学、物理学、植物学、兵学などが輸入されたのであったけれども、明治の初年に至って、哲学、論理学、心理学....
私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
っそのこと軍人を少しやり、しかる後に早大に入ろうと思い、陸軍士官学校を二回、海軍兵学校を一回受けたが、いずれも落第してしまった。早大志望は募るばかりで、同年九月....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
モルトケ、クラウゼウィッツの研究が盛んになった。一九〇二年のボンナール『独仏高等兵学の方式について』には「ジョミニーの論述する如き一般原則から敷衍せる戦法の系統....