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「兵学校〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

兵学校の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
三つの窓」より 著者:芥川竜之介
K中尉の心もちはこの海戦の前の出来事の記憶と対照を作らずにいる訣はなかった。彼は兵学校へはいったものの、いつか一度は自然主義の作家になることを空想していた。のみ....
空襲葬送曲」より 著者:海野十三
りはございますですが」 「四時間では、指揮をするだけでも、大変だぜ」 「松戸の工兵学校は、もう仕事を終えている頃ですから、直ぐ応援して貰ってはどうです」 「工兵....
千曲川のスケッチ」より 著者:島崎藤村
り小県の傾斜を上った。 根津村には私達の学校を卒業したOという青年が居る。Oは兵学校の試験を受けたいと言っているが、最早一人前の農夫として恥しからぬ位だ。私は....
」より 著者:島崎藤村
に立ち話する次郎の旧い遊び友だちを見いだす。ある若者は青山師範へ。ある若者は海軍兵学校へ。七年の月日は私の子供を変えたばかりでなく、子供の友だちをも変えた。 ....
縮図」より 著者:徳田秋声
、この町から出た多くの海員の一人で、中学を出たころすでに南洋に憧がれを抱き、海軍兵学校の入学試験をしくじってから、そんな船員団の仲間に加わったものだったが、長く....
人間レコード」より 著者:夢野久作
…」 「日本の機密局長さ。支那服を着た立派な人だがね。僕等の親玉なんだ。君を海軍兵学校に入れてやるというのはその人さ……」 中学生は今一度真赤になった。 「で....
二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
前には大外交家小村侯爵はタシカ私立法律学校の貧乏講師であった。英雄広瀬中佐はまだ兵学校の寄宿生であった。 二十五年前には日清、日露の二大戦役が続いて二十年間に....
レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
・ボナパルトの名前を抹殺《まっさつ》さしていた。勅令によってアングーレームは海軍兵学校の所在地となされていた、というのは、アングーレーム公爵は偉い海軍提督で、し....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
成績が上らぬので軽蔑されてる生徒であった。 柏原という卒業生の非常な秀才が海軍兵学校に入学していたのが、急性肺炎で亡くなったと聞くと、校長は、がっかりしたよう....
昭和遊撃隊」より 著者:平田晋策
襲のチャンス(時)が来たぞ。」 『千代田』の艦長北浦少佐は、江田島《えたじま》の兵学校の時から、冒険の大好きな乱暴者だった。 さっきから、大きな獲物(敵艦隊)....
アーニイ・パイルの前に立ちて」より 著者:小林一三
十年は一昔、丁度十年前に、私は、巴里の国立劇場グランドオペラに開催された海軍兵学校の慈善演劇会に、佐藤大使のお招きを受けて、大統領御臨席の夜会に出席したので....
学問の独立」より 著者:福沢諭吉
を経過して、方今は学理実施の時代といいて可ならんか。これを形容していえば、軍人が兵学校を卒業して正に戦場に向いたる者の如し。 これに反して我が日本の学芸は、十....
私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
っそのこと軍人を少しやり、しかる後に早大に入ろうと思い、陸軍士官学校を二回、海軍兵学校を一回受けたが、いずれも落第してしまった。早大志望は募るばかりで、同年九月....