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「兵火〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

兵火の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
荒雄川のほとり」より 著者:佐左木俊郎
ち聖徳太子の四天王寺の一つが今の地名をなしている。豪壮な伽藍《がらん》は、幾度も兵火にあいながら、私達の子供の時分までは再建を続けられていたのだそうだが、坊主が....
最終戦争論」より 著者:石原莞爾
にこれを縦深に配置するのであります(上図参照)。このような兵力の分散により敵の砲兵火力の効力を減殺するのみならず、この縦深に配置された兵力は互に巧妙に助け合うこ....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
が、今はどうなったか判らない。由井の家は西南戦争の際に、薩軍の味方をしたために、兵火に焼かれて跡方もなくなってしまったが、家族は長崎の方へ行って、今でも相当に暮....
田原坂合戦」より 著者:菊池寛
手に帰したわけである。官軍にとって結局は失敗であったにしろ、今日まで十数日の間、兵火を浴せて猶陥ちなかったここを、この日の一撃でとにかく一度は占領する事の出来た....
大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
二十八日大野治房同じく道犬等、浅野|長晟の兵を迎え撃たんとして、住吉、堺を焼き、兵火を利用して南下し、先鋒の塙団右衛門|直之は、樫井に於て、浅野の先鋒亀田大隅と....
応仁の乱」より 著者:菊池寛
正月十八日に始まって居るのである。 慎重な勝元は、初めは反逆者の名を恐れて敢て兵火の中に投じなかった。ところが、積極的な宗全は、自ら幕府に説いて勝元の領国を押....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
方は中立売、蛤門、境町の三方面に破れ、およそ二百余の死体をのこしすてて敗走した。兵火の起こったのは巳の刻のころであったが、おりから風はますます強く、火の子は八方....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
懲らそうと主張するものが出て来た。こうなると、町々は焼き払われるだろうと言って、兵火の禍いに罹ることを恐れる声が一層住民を狼狽させた。長州兵の隊長は本陣|高崎弥....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
に重きを置こうとする干城と、その正反対に立った利秋とは、ついに明治十年には互いに兵火の間に相見ゆる人たちであった。 この戦争は東北戦争よりもっと不幸であった。....
阿英」より 著者:田中貢太郎
それが皮肌にしみとおって、もう立派な美人になった。 甘の家では毎日笑っていて、兵火のことなどは考えていなかった。ある夜四方が騒がしくなった。どうも土寇が襲って....
飛騨の顔」より 著者:坂口安吾
いて、たまたま他の目的で出向いた先で仏像を見せてもらう程度であったが、そこは概ね兵火で焼かれたところであり、もしくは開帳の当日以外は見せられない秘仏であるために....
雪の宿り」より 著者:神西清
と申します。そのとき安部殿(在貞)などの奉られた勘文では、これは飢荒、疾疫群死、兵火起、あるいは人民流散、流血積骨の凶兆であった趣でございます。当時、何ぴとの構....
弓道中祖伝」より 著者:国枝史郎
時は文明五年であり、応仁の大乱が始まって以来、七年を経た時であり、京都の町々は兵火にかかり、その大半は烏有に帰し、残った家々も大破し、没落し、旅舎というような....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
も祖神を祭る大神社をもち大部落民を擁する宮司家や大寺はそのためにむしろアベコベに兵火をうけ易かったものである。それは彼らが広大な荘園をもって繁栄し兵をたくわえる....
法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
新説は、折角ながら問題にはならぬものであると謂わねばならぬ。ことに皇極天皇二年の兵火は斑鳩宮のみに限られ、斑鳩寺すなわち法隆寺がその後もなお存在した事の反証とも....