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「兵燹〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

兵燹の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
太虚司法伝」より 著者:田中貢太郎
極めて、耕耘する者のない田圃はもとの野となって、黄沙と雑草が斑ら縞を織っていた。兵燹のために焼かれた村落の路には、礎らしい石が草の中に散らばり、片側が焦げて片側....
震災日記より」より 著者:寺田寅彦
焼払われた湯島台の起伏した地形が一目に見え上野の森が思いもかけない近くに見えた。兵燹という文字が頭に浮んだ。また江戸以前のこの辺の景色も想像されるのであった。電....
開運の鼓」より 著者:国枝史郎
陸東海の、三道に分れて押し寄せて来る。二百数十年泰平を誇ったさすが繁華な大江戸も兵燹にかかって焼土となるのもここしばらくの間となった。贅沢出来るのも今のうちだ、....
赤格子九郎右衛門」より 著者:国枝史郎
々たる珍書であったが、惜しい事には維新の際、殆ど失われたということである。つまり兵燹に焼かれたのである。 然るに夫れを、偶然のことから、私は完全に手に入れた。....
銅銭会事変」より 著者:国枝史郎
。 兵を発して少林寺を焼く、蔡徳忠、方大洪、馬超興、胡徳帝、李式開の五人の僧、兵燹をのがれて諸国を流浪し同志を語らい復讐に努む。すなわち清朝を仆さんとするなり....
正雪の遺書」より 著者:国枝史郎
それから私はなお細々と、策戦について語りました。 「江戸は本丸西丸の、両丸に兵燹を掛けねばならぬ。機を見て城中へ兵を進め新将軍を奪取する。又京都は二条の城及....
三国志」より 著者:吉川英治
大策であったのである。 当時、他の諸将軍が、洛陽の離散から長安の大乱と果てなき兵燹乱麻のなかに、ただおたがいの攻伐にばかり日を暮し合っていた際に――ひとりそこ....
三国志」より 著者:吉川英治
れず、曹操は馬を降って、張魯の手を取った。そして慰めていった。 「倉廩を封じて、兵燹から救われたことは、まさに天道の嘉すところである。曹操は、そのお志に対し、足....
随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
も半ばである。だが小説中の五月は旧暦で、また元弘三年は閏年だったから、鎌倉滅亡の兵燹は七月の季感にあったと思えばいい。まったく炎暑の陣だった。 もうずいぶん前....
黒田如水」より 著者:吉川英治
ん。それがしの行動こそ主家を救う唯一の道なりと信じ、またこの信念こそ、中国の地を兵燹から助け、大きくは、主人のご心念をやすんじ奉るものと思うのほか、何ものもない....