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「兵略〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

兵略の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
巌流島」より 著者:直木三十五
武蔵に代って答えると、 「そもそも兵法とは、古人の云っているとおり、刀術を表とし兵略を裏としたもので、後に軍略と剣術とに別々になったのは、徳川以後の事である。武....
新疆所感」より 著者:日野強
らざるにおいてをや。イリの運命あにひとり第二の満洲たらざるを得んや。さらに翻って兵略上より観察せんに、露国もしその首力をイリに進めて新疆を中断し、一支隊をタルバ....
三国志」より 著者:吉川英治
武者だったそうですが、関羽によく似た大将も世間にいないと限りません。曹操は著名な兵略家ですから、わざとそういう者を探して、お味方の内訌を計らんとしたかも知れませ....
三国志」より 著者:吉川英治
操は営中の善美を凝らして、ふたたび歓待の宴に彼をとらえた。そして夜もすがら孫呉の兵略を談じ、また古今の史に照らして諸家の陣法を評したりなど、興つきず夜の更くるも....
三国志」より 著者:吉川英治
定軍山と並び占めた位置を利して、敵状偵察に余念がない。 法正はその資料に基いて兵略を立てた。 「敵がもし攻め寄せて来ましたなら、味方の兵を制して動かず、かれが....
三国志」より 著者:吉川英治
熟慮を仰ぎます。陸遜の才は、呂蒙に劣らず、周瑜の下でもありません」 「汝は、朕の兵略が、黄口の豎子にすら及ばんというか」 馬良はこれ以上いさめる語を知らなかっ....
三国志」より 著者:吉川英治
忘れていた程だった。そして長ずるや馬謖の才能はいよいよ若々しき煥発を示し、軍計、兵略、解せざるはなく、孔明門第一の俊才たることは自他ともにゆるす程になってきたの....
三国志」より 著者:吉川英治
れている孔明の姿をも取り容れて、さらにそれを文学的に神仙化しているのである。彼の兵略戦法を語るに、六|丁六|甲の術を附し、八門|遁甲の鬼変を描写している件などは....
私本太平記」より 著者:吉川英治
。……兄上にも、いちど加賀田へお越しあって、時親先生へお目にかかり、久々に先生の兵略や胸中のご意見なども、お叩きになってみては、どんなものでしょうな」 「近ごろ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
帰っても、客をつかまえて、広言を払った。 「楠木が強いのではなく、隅田、高橋らの兵略が拙いのだ。また士卒も臆病ぞろい。われらの東国|下野では、かかる愚戦は聞いた....
私本太平記」より 著者:吉川英治
殿だ。これまた、円心におくれては、自身のこけんにかかわるような気位で、ありもせぬ兵略や猛気をふるッているものと思われる。――そのため友軍二タ手が先を争い合って、....
私本太平記」より 著者:吉川英治
転する妙機かと、ひそかに、息をつめておられたのである。 目には見えないが、宮の兵略眼をもって観れば、鎌倉三道の攻め口は早や破れつつあるものとわかる。 夕方か....
私本太平記」より 著者:吉川英治
兵をすすめるのみでなく、北の奥羽からも官軍を攻めのぼらせて鎌倉を挟撃させようとの兵略にほかならなかった。しかし鎮守府将軍の官位はさきに尊氏へさずけられていたのだ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
られない。けれど弥四郎、助家らがいうていどの約言に、あまりな期待をもちすぎるのは兵略として、すこぶるあぶないことでもある。努めて抑止していなければ大蹉跌を見まい....
黒田如水」より 著者:吉川英治
衛は、正直、哭きたいような気がした。秀吉をとらえて心からこぼした。 「あなたは、兵略のみならず、外交にかけても、人を反らさぬ達人だと思っていましたが、別所賀相を....