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兼光
「兼光〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
兼光の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「阿部一族」より 著者:森鴎外
あっぱ》れであったと言って、三人へ連名の感状をやった。落城ののち、忠利は数馬に関
兼光《せきかねみつ》の脇差をやって、禄を千百五十石に加増した。脇差は一尺八寸、直....
「姉川合戦」より 著者:菊池寛
城であった。信長からの数々の進物に対して、長政は、家重代の石わりと名づけたる備前
兼光の太刀を贈った。この浅井家重代の太刀を送ったのは、浅井家滅亡の前兆であると、....
「小説 不如帰 」より 著者:徳冨蘆花
、開かれざる書筺と洋籍の棚は片すみに排斥せられて、正面の床の間には父が遺愛の備前
兼光の一刀を飾り、士官帽と両眼鏡と違い棚に、短剣は床柱にかかりぬ。写真額|数多掛....
「星女郎」より 著者:泉鏡花
まで旅らしい趣はないが、この駅を越すと竹の橋――源平盛衰記に==源氏の一手は樋口
兼光大将にて、笠野富田を打廻り、竹の橋の搦手にこそ向いけれ==とある、ちょうど峠....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
へ来て、起臥《おきふし》をともにして以来知り得た限りでは。
老士……名は、得印
兼光《とくいんかねみつ》。
美濃《みの》の産、仔細あって郷国を出て、こうして江....
「安吾武者修業」より 著者:坂口安吾
な住居にいるのはこの里だけのことであろう。 樋口家は木曾義仲の四天王樋口次郎|
兼光の子孫である。次郎
兼光の妹は女豪傑|巴だ。もっとも、樋口の嫡流は今も信州伊奈....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
見せてくれん、ついでに、素っ首土産にしょ、と、抜き放ったる業物は、備前の住人、大
兼光、三尺八寸二分二厘、真向、上段、大上段、頭の頭上に振りかざし、当るを幸い、右....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
記を書くようなものだが、現にお里の釣瓶鮨のあとも今なお連綿として残り、樋口の十郎
兼光の逆櫓の松も栄え、壺阪では先年|沢市の何百年|遠忌だかを営んだ。『八犬伝』の....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
秀郷―千常―文脩┬文行―公光―公清―秀清―康清―則清(西行) └
兼光―正頼―経清―清衡┬基衡―秀衡―泰衡 ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
卿相を以てすえ、なお“記録所ノ寄人”としては、武家では、楠木正成、名和長年、伊賀
兼光の三人だけが、その局に挙げられた。 また。 雑訴決断所 は、ひろく聖断....