兼好[語句情報] »
兼好
「兼好〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
兼好の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
とが、何とも云えぬ趣をなして居る。余は御室が大好きである。直ぐ向うのならびが岡の
兼好が書いた遊びずきの法師達が、児を連れて落葉に埋めて置いた弁当を探して居やしな....
「老年と人生」より 著者:萩原朔太郎
理を、遺伝的によく体得しているように思われる。彼らは『徒然草《つれづれぐさ》』の
兼好《けんこう》法師に説かれないでも、僕位の年齢に達するまでには、出家悟道の大事....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
って、腕によりをかけてごらんに入れますから、少々お気を長くお待ち下さい。そもそも
兼好《けんこう》ほどの剛の者がついておりながら、高武蔵守師直《こうのむさしのかみ....
「五月の唯物観」より 著者:寺田寅彦
いかと思うので、そういう鎮静剤を一部の読者に紹介したいと思ったまでのことである。
兼好法師の時代にはもちろん生理学などというものはなかったが、あの『徒然草』第十九....
「後記にかえて〔『教祖の文学』〕」より 著者:坂口安吾
し彼は、琵琶法師や遊吟詩人となって一生を終ろうとする茶気はなく、さしずめ遁世して
兼好法師となるところが、僕と大いに違っているのだろうと考える。 似て、似きれな....
「徒然草の鑑賞」より 著者:寺田寅彦
ここで自分のいわゆる俳諧は心の自由、眼の自由によってのみ得られるものなのである。
兼好はこの書の中で色々の場所で心の自由を説いている。例えば第三十九段で法然上人が....
「子規居士と余」より 著者:高浜虚子
いて『尚志会雑誌』に文章や俳句を寄稿してくれぬかと言った。余はその頃国語の先生が
兼好法師の厭世思想を攻撃したのが癪に障ってそれを讃美するような文章を作って久保君....
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
は薄ぎたない髭がもじゃもじゃと黒ずんでいた。彼が双ヶ岡の法師と世に謳わるる吉田|
兼好と知った時に、女も少し意外に感じたらしかったが、そんな色目も見せないで、かれ....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
て、帝位は東夷の計のごとし。とあるなど、その例、枚挙にいとまあらざるなり。また、
兼好法師の『徒然草』に、 人毎に我身にうとき事をのみぞ好める。法師は兵の道をた....
「江戸芸術論」より 著者:永井荷風
一休禅師《いっきゅうぜんじ》の逸事長く世人を喜ばしめたるもこれがためにあらずや。
兼好法師《けんこうほうし》が『徒然草《つれづれぐさ》』には既に多分の滑稽を帯び来....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
兄弟相具して落ち失せぬ。 と云っております。また東国人の義理堅いことについては、
兼好法師の徒然草に、 東人こそ言ひつる事は頼まるれ、都の人は言承けのみよくて実な....
「古陶磁の価値」より 著者:北大路魯山人
るいは絵画としてなかなか尊重に足るものが生まれているのであります。御承知の通りに
兼好法師にいわせますと、あの時すでに来世になっておりますが、今から考えますと
兼好....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
花園院も崩御になって、二条派系の者には、為世の孫たちのほかに、頓阿・浄弁・慶運・
兼好など四天王などいわれたような門弟もあって、数で行けばやはり歌界の大勢を動かす....
「粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」より 著者:三遊亭円朝
唄ったろう……あれは端物だがいゝねえ、英一|蝶の画に其角が賛をしたという、吉田の
兼好法師の作の徒然草を」 若「へえ何方さまで」 客「お耄けでない、唄ったよ、お前....
「放免考」より 著者:喜田貞吉
身に纏いて、為に識者の不審を招く程にもなっていた。それがさらに鎌倉時代も末葉の、
兼好法師の頃に至っては、その衣服にいろいろの飾り物をつけて、為に左右の袖が重くて....