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内国
「内国〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
内国の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「耽溺」より 著者:岩野泡鳴
れば、ブラウニング夫人のごとき才気当るべからざる婦人もいる。いずれも皆外国または
内国の有名、無名の学者、詩人、議論家、創作家などである。そのいろんな人々が、また....
「大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
畷道四通する所だ。 大阪方の主将は木村重成、長曾我部|盛親の二人。是に向うは河
内国の先鋒藤堂高虎兵五千、井伊直孝三千二百。 盛親麾下三百を長瀬川堤上に伏せ、....
「日本脱出記」より 著者:大杉栄
。何のことかよく分らんから、連れの女に聞いて見ると、フランスでは外国人はもとより
内国人ですらも、みなその写真を一枚はりつけた警察の身元証明書を持っていなければな....
「深見夫人の死」より 著者:岡本綺堂
た。 なにしろ久し振りで東京へ帰って来たのである。時は四月の花盛りで、上野には
内国勧業博覧会が開かれている。地方からも見物の団体が続々上京する。天下の春はほと....
「作画について」より 著者:上村松園
いたりして、いろいろと変遷してきたものです。 ですから画題も明治二十八年第四回
内国博出品の「清少納言」や、その後の「義貞勾当内侍を視る」「頼政賜菖蒲前」「軽女....
「あゝ二十年」より 著者:上村松園
雪 とうとう二十年来の肩の重荷をおろしましてほっといたしました。ふりかえってみますと、私が十五歳の折り、
内国勧業博覧会に「四季美人図」を初めて出品いたしまして、一等褒状を受け、しかもそ....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
の絵が展覧会に入賞したのは、明治二十三年、十五歳の時でした。東京で催された第三回
内国勧業博覧会に、「四季美人」を出品しましたのが、一等褒状となりました。四人の四....
「昔のことなど」より 著者:上村松園
楳嶺先生の性格がよく出てると思います。 楳嶺先生が死なれた年の春に岡崎で第四回
内国勧業博覧会がありまして、私は「清少納言図」を出品しましたがその下図を誰ぞに見....
「楠公夫人」より 著者:上村松園
抵の仕事ではないぞ」 と、心ひそかに思ったことであった。 楠公夫人久子は、河
内国|甘南備の郷字矢佐利の住人、南江備前守正忠の末の妹で、幼い時に父母に訣れ、兄....
「わが母を語る」より 著者:上村松園
も、一人ゴテの叔父がおり、とやかく申すのでしたが、私が十五歳の時、東京に開かれた
内国勧業博覧会に、〈四季美人図〉を初出品しましたら、丁度、来遊されていた英国の皇....
「明治懐顧」より 著者:上村松園
協会も同様審査などなく陳列されたと記憶します。私の出品して審査を受けたのは第四回
内国勧業博覧会が最初と思います。そうした風で、明治三十年以前の画人というものは何....
「想い出」より 著者:上村松園
で、それから栖鳳先生に師事致しまして、今日に及んで居りまするが、十六の時、第三回
内国勧業博覧会に松年先生の御勧めで〈四季美人図〉を初出品致しまして、思いがけなく....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
半額等と掲示し、内陳参観料を収入する所あり。あたかも汽車の賃銭表を見るがごとし。
内国布教会あるいは外国布教会、その他これに類する教会にて費金を集むるために、説教....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
。間もなく天授三年|長谷で再び出家をとげられ、弘和元年『新葉集』を撰ばれた頃は河
内国に住居された。しかしその後の御事蹟は不明で、薨去の年月も御終焉の地も、いずれ....
「世間師」より 著者:小栗風葉
た向うの国を望んだ眺めはさすがに悪くはなかった。が、私はそれよりも、沖に碇泊した
内国通いの郵船がけたたましい汽笛を鳴らして、淡い煙を残しながらだんだん遠ざかって....