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内大臣
「内大臣〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
内大臣の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「魔法修行者」より 著者:幸田露伴
の法を修した人には面白い人がある。それは政元よりも遥に立派な人である。 関白、
内大臣、藤原氏の氏の長者、従一位、こういう人が飯綱の法を修したのである。太政大臣....
「残されたる江戸」より 著者:柴田流星
、矢車のカラカラと高笑いする空に真鯉、緋鯉、吹流しの翻るも勇ましく、神功皇后、武
内大臣の立幟、中にも鍾馗の剣を提げて天の一方を望めるは如何にも男らしい。――五月....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
、明る春二月まで、そのなごりたえざりけり」としてある。 その天正十三年は秀吉が
内大臣となった年で、国内の紛乱がやや収まって桃山時代の文化が生れたところであった....
「ガリバー旅行記」より 著者:スウィフトジョナサン
した。 私が自由な身になってから、二週間ぐらいたった頃のことでした。ある朝、宮
内大臣のレルドレザルがひょっこり、一人の従者をつれて、私を訪ねて来ました。乗って....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
玉くしげ御室の山のさなかづらさ寝ずは遂にありがつましじ 〔巻二・九四〕 藤原鎌足
内大臣藤原卿(鎌足)が鏡王女に答え贈った歌であるが、王女が鎌足に「たまくしげ覆ふ....
「大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
、二百六十五年を以て、政権朝廷に帰したのであった。 慶喜に対する処置としては、
内大臣を辞すること、封土一切を返すべきこと、この二カ条が決定された。 旧幕臣は....
「次郎物語」より 著者:下村湖人
す。それに――」 と、田沼先生は、ちょっと言いよどんだが、 「ご側近には、湯浅
内大臣のような方もおられます。
内大臣はあくまでも筋の通った方だと私は信じます。」....
「二・二六事件に就て」より 著者:河合栄治郎
るに至った。 二 先ず吾々は、〈残酷〉なる銃剣の下に仆れたる斎藤
内大臣、高橋大蔵大臣、渡辺教育総監に対して、深厚なる弔意を表示すべき義務を感ずる....
「反省の文学源氏物語」より 著者:折口信夫
て又京都へ上って来て、偶然の機会から源氏に育まれる事になる。当時、実の父頭中将は
内大臣となっている。太政大臣である源氏と、
内大臣との間は、会って話し合う事があれ....
「東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
洲経をどうか日本に取り寄せることが出来れば取って戴くことを願うということを時の宮
内大臣に申し送った。宮
内大臣もそれを諒とせられ、だんだん日本軍の進むに従って出先....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
われる。一体から言うと前大蔵大臣は今頃は総理大臣の位置に居るか、高等僧官の中で宮
内大臣の位置に居るか、どっちかの位置に居られる人だそうです。そう行かなかったとい....
「エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
シンガムの職に引き上げた。そこで二十七歳の若者は、職名はともかく、事実上の侍史(
内大臣)になった。肩書と俸給はいずれ後日下されるであろう――彼女のことだからすぐ....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
歌や、良経邸での歌会の歌やばかりで占められているといってもよい位である。 また
内大臣|実宗の女を妻とした。これは後の西園寺太政大臣|公経の同胞であった。そこで....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
である。また源家の祖先として威名の高かった源頼信も、関白藤原道兼の家人であった。
内大臣の地位にいる藤原宗忠すら、関白藤原忠実の家人を以て甘んじていたのである。藤....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
殿御記』を引いて相国寺大塔供養応永六年九月十五日の式のことを書いた中に、 左大臣
内大臣以下 一人 布衣侍二人 とある。雑色は江戸時代になっても京に存して、京内....