内治[語句情報] »
内治
「内治〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
内治の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「河童」より 著者:芥川竜之介
正直は最良の外交である』とはビスマルクの言った言葉でしょう。しかしロッペは正直を
内治《ないち》の上にも及ぼしているのです。……」
「けれどもロッペの演説は……」....
「かのように」より 著者:森鴎外
治をするには、今でも多数を動かしている宗教に重きを置かなくてはならない。ドイツは
内治の上では、全く宗教を異《こと》にしている北と南とを擣《つ》きくるめて、人心の....
「近時政論考」より 著者:陸羯南
急進論者は突然政事家の社会より出で来たれり。これより先、時の廟議はすでに国権派と
内治派との二大分裂を孕み、しばしば政事家間に衝突を起こしたりという。明治四年廃藩....
「謀叛論(草稿)」より 著者:徳冨蘆花
つの間にか足もとを見て歩くようになり、内観するようになり、回顧もするようになり、
内治のきまりも一先ずついて、二度の戦争に領土は広がる、新日本の統一ここに一段落を....
「暗黒公使」より 著者:夢野久作
従来の親日傾向を放棄させて日本を圧迫させる一方に、一時平静に帰しております支那の
内治を再び攪乱し、その虚に乗じて、支那各地の利権と、金融機関の中心を掌握するにあ....
「冥土行進曲」より 著者:夢野久作
っている。しかも巨万の富を貯えて印度貿易に関する限り非常な潜勢力を有し、非常時の
内治、外交の裡面に重大な暗躍を試みているらしい事も、私が嘗て東京で、暴力団の用心....
「盈虚」より 著者:中島敦
ら実に十七年目であった。 荘公が位に立って先ず行おうとしたのは、外交の調整でも
内治の振興でもない。それは実に、空費された己の過去に対する補償であった。或いは過....
「瘠我慢の説」より 著者:木村芥舟
もの甚だ多し。その書の多き、随て誤聞謬伝もまた少なからず。殊に旧政府時代の外交は
内治に関係することもっとも重大にして、我国人の記念に存すべきものもっとも多きにも....
「三国志」より 著者:吉川英治
その強大な勢力も今では地方的な存在に置きかえられてしまったのである。 荀※は、
内治の策にも、着々と功績をあげてきた。 許都を中心に、屯田策を採用し、地方の良....
「三国志」より 著者:吉川英治
持てと。……それはおまえに云いのこすことだ。孫権、そんなことはないよ。おまえには
内治の才がある。しかし江東の兵をひきいて、乾坤一擲を賭けるようなことは、おまえは....
「三国志」より 著者:吉川英治
た。 さらに、曹操を驚かせたものは、漢中からの使者による、 「蜀の玄徳、すでに
内治の功をあげ、いよいよ馬超、張飛の二軍を先手として、漢中へ進攻の気勢を示す」 ....
「三国志」より 著者:吉川英治
平和のうちに迎えていた。蜀の興隆は目に見えるものがあった。孔明はよく幼帝を扶け、
内治と国力の充実に心を傾けてきた。両川の民もよくその徳になつき、成都の町は夜も門....
「三国志」より 著者:吉川英治
の根本を彼は師弟の結びにありとなし、師たるものを重んじ、その徳を涵養させた。また
内治の根本は吏にありとなし、吏風を醇化し吏心を高めさせた。吏にしてひとたび涜職の....
「三国志」より 著者:吉川英治
が、三十年の長きを保っていたというも、偏に、「死してもなお死せざる孔明の護り」が
内治外防の上にあったからにほかならない。 そこで孔明の歿した翌年すなわち蜀の建....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
地は敵の手から回復し、領民はその徳政によく服していた。 だが、そうしてようやく
内治が調ったと思うと、こんどは国外からの圧迫がひしひしと、この一小国にも、旗幟の....