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「内田魯庵〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

内田魯庵の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
大衆文芸作法」より 著者:直木三十五
物語」、末広鉄腸の「雪中梅」、「花間鶯」、木下尚江の「良人の自白」、「火の柱」、内田魯庵の「社会百面相」等がある。 之等は、凡て、翻訳小説と同じく、政治、社会....
文士の生活」より 著者:夏目漱石
二代目のでオノトである。別にこれがいいと思って使って居るのでも何でも無い。丸善の内田魯庵君に貰ったから、使って居るまでである。筆で原稿を書いた事は、未《ま》だ一....
作家と教養の諸相」より 著者:宮本百合子
に対して、作家は昔の戯作者に非ずとして、人生的な教養の必要を強調したのは、当時の内田魯庵その他|所謂《いわゆる》人生派の論客たちであった。 自然主義文学の動き....
バルザックについてのノート」より 著者:宮本百合子
さに由来するものではない。既に自然主義にはおさまれず、さりとて自身の伝統によって内田魯庵の唱導したような文学の方向にも向えず、新しい方向に向いつつ顫動していた敏....
婦人と文学」より 著者:宮本百合子
のつき合いでは、なかなか闊達で、自在で、警句も口をついて出たらしい。二十五年ごろ内田魯庵が翻訳した「罪と罰」の話に一葉が興味を示したというのも、おそらくはこうい....
婦人の創造力」より 著者:宮本百合子
な男の人達が文化全体の問題として問題にしました。 一葉の時代でも或る種類の――内田魯庵という風な評論家たちはやはり一葉なんかの文学に対していろいろ疑問を持って....
婦人作家」より 著者:宮本百合子
わらず、当時の進歩的な評論家生田長江、馬場孤蝶、阿部次郎、高村光太郎、中沢臨川、内田魯庵などによって支持され、社会的に大きい波紋を描いたのも、政治・労働運動に民....
明治十年前後」より 著者:淡島寒月
梅花詩集』という本をあらわした記念さるべき人である。後、不幸にも狂人になった)、内田魯庵(その頃は花の屋)、石橋忍月、依田百川などの諸君に、それを見せることが出....
北村透谷の短き一生」より 著者:島崎藤村
ていた。斯ういう身体だったから、病的な人間の事にも考え及んでいたらしく、その事は内田魯庵氏の訳された『罪と罰』の評なぞにも現われていると思う。透谷君の晩年を慰め....
日記」より 著者:宮本百合子
た。『時事新報』にのって居る写真はよくとれて居る。瀧田氏来訪、木下杢太郎氏など、内田魯庵氏が大変ほめて下さったそうで、再版を千部すり、第三版になりそうだとのこと....
日記」より 著者:宮本百合子
がしいので断る。十一月の二十一日頃迄は到底駄目だ。 A、松宮春一郎氏の会に出、内田魯庵氏の風格に愛をもってかえって来た。 朝、島氏来、神田の工場、家全焼、少....
回想録」より 著者:高村光太郎
新機運のようなものが次第に醸成されつつあった。白馬、太平洋などの会が相当盛んで、内田魯庵さんが評論を書いていた時代である。当時、真田久吉君という学校にいた時非常....
芝、麻布」より 著者:小山内薫
まないと思っている。 その上に、私はその短編の内容について、読売新聞か何かで、内田魯庵先生にひどくしかられたのを覚えている。 こないだ、久しぶりに芝浦へ行っ....