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「内膳〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

内膳の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
恩を返す話」より 著者:菊池寛
》の嘆《たん》を洩しているうちに、十余日が経った。いよいよ十二月八日、上使|板倉内膳正《いたくらないぜんのしょう》が到着した。細川勢は、抑えに抑えた河水が堤を決....
忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
部頭正成《かもんのかみまさなり》、植村|出羽守家政《でわのかみいえまさ》、板倉|内膳正重正《ないぜんのしょうしげまさ》ら近臣三十人ばかりが輿に従って進んだ。 ....
旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
うてよくよく物覚えの悪い者達よ喃。この一札こそは、まさしく先々代の名所司代職板倉内膳正殿が、町人下郎共の賄賂請願《わいろせいがん》をそれとなく遠ざけられた世に名....
阿部一族」より 著者:森鴎外
祖は尾張国《おわりのくに》寺本に住んでいた寺本太郎というものであった。太郎の子|内膳正《ないぜんのしょう》は今川家に仕えた。内膳正の子が左兵衛、左兵衛の子が右衛....
賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
岡(後の細川)忠興等三万の兵を率いて、濃州へ打って出でた。先ず、大垣の城主|氏家内膳正を囲んだが、一戦を交えずして降ったので、秀吉の大軍大垣の城に入った。伝え聞....
島原の乱」より 著者:菊池寛
使たらしめんと議した。家光は東国の辺防を寛うすべからずと云って許さず、よって板倉内膳正|重昌を正使とし、目付|石谷十蔵貞清を副使と定めた。両使は直ちに家臣を率い....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
用掛りの人たちが家へ入り込んで来た。お民は森夫や和助を呼んで羽織袴に着かえさせ、内膳課の料理方へ渡す前にわざわざ西から取り寄せたという鮮魚の皿に載せたのを子供ら....
敵討札所の霊験」より 著者:三遊亭円朝
ら、御家来衆も嘸多い事でございましょうが、御指南番は何方でげすえ」 久「なに杉村内膳と云って、一刀流ではまア随分えらい者だという事で」 山「へえ成程杉村内膳、柔....
日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
津の被害は最も甚だしかった。元慶元年四月の地震には、京中を垣墻悉く破壊し、宮中の内膳司屋顛倒して、圧死者を出した。陰陽寮で占わすと東西に兵乱の兆があると奏した。....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
並父五平次、先代|芝翫《しかん》の松前鉄之助と仲間嘉兵衛、助高屋高助の浅岡、板倉内膳正、塩沢丹三郎、先代菊五郎の片倉小十郎、神並三左衛門、茶道珍斎、先代左団次の....
天草四郎の妖術」より 著者:国枝史郎
左衛門、赤星宗伴、千々輪五郎左衛門、駒木根八兵衛。 寄手、主立った大名は、板倉内膳正を初めとし、有馬、鍋島、立花、寺沢、後には知恵伊豆と謳われた松平伊豆守が総....
血ぬられた懐刀」より 著者:国枝史郎
こと、なかなか油断は出来ますまい」 「それに」ともう一人が心配そうにした。山崎|内膳という若武士である。 「ご宿老の木村|常陸介様が、幸蔵主殿のおいで以来、気鬱....
にらみ鯛 」より 著者:佐藤垢石
まったのである。酒井は、どうすることもできないで、自らそくばくの金を献上して、御内膳の資に供えたという。 この、朝廷の供御欠乏のありさまを、実際に幕吏が拝しあ....
植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
いうしゃく》食経云、水松状如松而無葉、和名美流」とある。『延喜式《えんぎしき》』内膳司式《ないぜんししき》に「海松二斤四両」とあり、また『万葉集』の歌に「沖辺に....
手長と足長」より 著者:喜田貞吉
でも君子は庖厨を遠ざくとあって、料理番はあまり名誉の職ではなかった。我が古代でも内膳司の長官は、安曇・高橋の二氏が任ぜられる例であったが、この二氏ともに手長族に....