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円融
「円融〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
円融の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「一円本流行の害毒と其裏面談」より 著者:宮武外骨
ませぬ、ワタクシも円本をやるツモリですが、金が少し足りませんから、暫くの間四五万
円融通してくれませんか」とか、或は素人が「昨今は円本をやりさえすれば、儲かるので....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
のである。二十九日に更に躋寿館医書彫刻|手伝を仰附けられた。今度校刻すべき書は、
円融天皇の天元五年に、丹波康頼が撰んだという『医心方』である。 保さんの所蔵の....
「連環記」より 著者:幸田露伴
ように云伝えることも生じたのであろう。しかも恵心はまた頭陀行を厳修したので、当時
円融院の中宮|遵子の御方は、新たに金の御器ども打たせたまいて供養せられたので、か....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
年の齢《よわい》を保つべきなり。『公事《くじ》根源』を見るに中朝この遊び盛んに、
円融帝寛和元年二月十三日に行われたのは殊に振《ふる》った物だったらしく、幄《とば....
「姨捨」より 著者:堀辰雄
い》に参上いたしますと、ただでさえいつも神々しいような御所でしたが、その折は又|
円融院《えんゆういん》の御世からお仕えしているとか云う、いかにも神さびた老女が居....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
示すのではなかったであろう。またこれを万葉巻第一に選び載せた態度もこだわりなくて
円融とも称すべきものである。 ○ 大和には鳴きてか来らむ呼....
「端午節」より 著者:井上紅梅
請求せぬことや、直接受領せぬことを非常な清高な行いとして賞讃したが、わたしが五十
円融通してくれと申込むと、たちまち彼の口の中へ一攫みの塩を押込んだようにおおよそ....
「九代目団十郎の首」より 著者:高村光太郎
台上の修練によるあらゆる顔面筋の自由な発達があった。すべてが分厚で、生きていて、
円融無礙であった。 団十郎の顔は全体には面長である。横から見ると、後頭よりも顔....
「明治哲学界の回顧」より 著者:井上哲次郎
対立を超上してすなわち aufheben して、真実一元観に達する次第で、これを
円融相即の見解というべきである。 科学的進化論のごときは、われわれもこれを真理....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
れからまた二十年あまり経て、『新後拾遺集』が成った。永和元年(天授元年)六月|後
円融院が二条|為遠に撰集の勅命を下され、八月以後それに従事したが、六年後の永徳元....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
、区別がつかなくなるのであります。仰ぐ力と、信念と、自分の力と、この三者は、時に
円融し、時に鼎分(三つに分れること)し、そこに反省あり、三昧境あり、以て一歩一歩....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
の座主へお使いがあると、ほどなく、弟宮の座主は、みずからその兄宮のいる東塔南谷の
円融坊とよぶ坊舎の内を、そっと訪ねていたのだった。 人を遠ざけて――。 両宮....
「フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
用するのは考えものだよ。サンボリズムとリアリズムとは楯の両面だからね。それも主客
円融ということは渾然として境涯的のものであって、写生は畢寛写生に過ぎないからね。....