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円覚寺
「円覚寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
円覚寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「草枕」より 著者:夏目漱石
へ遊びに行って、いわゆる五山《ごさん》なるものを、ぐるぐる尋ねて廻った時、たしか
円覚寺《えんがくじ》の塔頭《たっちゅう》であったろう、やはりこんな風に石段をのそ....
「吾輩は猫である」より 著者:夏目漱石
学に凝《こ》り固まって鎌倉へ出掛けて行って、とうとう出先で気狂になってしまった。
円覚寺《えんがくじ》の前に汽車の踏切りがあるだろう、あの踏切り内《うち》へ飛び込....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
めに天王山だ、関ケ原だといったのだと、いいたくなるわけだ。 これに対して、鎌倉
円覚寺管長の宗海和尚はこういっている。「沖縄は天王山であり、関ケ原である。あれは....
「近世快人伝」より 著者:夢野久作
とうなずきながら聞いていたが、とうとうこの愉快な代議士君に引っぱり出されて鎌倉の
円覚寺に釈宗演和尚を訪う事になった。 釈宗演和尚は人も知る禅風練達の英僧、且つ....
「日本脱出記」より 著者:大杉栄
手のように思われて、二人ともずいぶんびくびくしながら行った。ことに一度、建長寺と
円覚寺との間頃で後ろからあかりをつけない自動車が走って来て、やがてまたそれらしい....
「この夏」より 著者:宮本百合子
立って南を見ると、正面に明月山、左につづく山々、右手には美しい篁の見えるどこかで
円覚寺の領内になっていそうな山々、家のすぐ裏には、極く鎌倉的な岩山へ掘り抜いた「....
「夏」より 著者:宮本百合子
去年の今頃はもう鎌倉に行っていた。鎌倉と云っても、大船と鎌倉駅との間、
円覚寺の奥の方であった。不便極るところで、魚屋もろくに来ず、食べ物と云えば豆腐と....
「一九二五年より一九二七年一月まで」より 著者:宮本百合子
○十月一日(十四夜月) ○日々草(十月) ×柳やの女中のこと。巡査、おかみ、
円覚寺の寺男。 ○肝癪のいろいろ ※十月の百花園 ○部屋をかりに行った中野....
「我が人生観」より 著者:坂口安吾
いが妖雲となって、立ちのぼっている。 「カンベンならねえ」 しかし、あなた方が
円覚寺へ参禅したって元のモクアミだが、女はすでに竜と化していますぞ。女は元々気魄....
「読書遍歴」より 著者:三木清
る。私の最も親しくするようになった宮島鋭夫に誘われて、ある夏私は彼と一緒に鎌倉の
円覚寺の一庵に宿り、坐禅をしたこともある。一日禅坊を出て、宮島の知っている堀口大....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
れない。 では、この庭は何をみせようとしているのか。 たしかこれが造庭には、
円覚寺のうちのえらい坊主があたって、庭師とのあいだに、こんなばからしい庭をと、大....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
いましたが、はや東慶寺の御門も危うくなりましたので、今暁、五山の僧衆に守られて、
円覚寺の奥まった一院へお身をお移しなされました」 「そうか。……高時が行くところ....
「随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
。真杉さんのお墓には、誰が供えたのか、ガラスびんの酒徳利に、お酒が上げてあった。
円覚寺の黄梅院で、暮れかける。お訪ねした辻雙明氏は御不在。だが、ここには鎌倉時代....
「美しい日本の歴史」より 著者:吉川英治
は焼け火ばしで烙いたという。次の話は、それ以前の事だろう。或る時、尼は公式の使で
円覚寺の壇へ参礼したことがあった。 その日、円覚の大衆は、階の両側に、列を作し....