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准后
「准后〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
准后の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
閤兼良は曠世の学者であったとはいいながら、政治家としては極めて簡単な保守主義で、
准后親房のような達識ではなかった。この大勢を看破せず狂瀾を既倒に回さんとのみ考え....
「法然行伝」より 著者:中里介山
並に仁和寺の比丘尼西妙はその前夜法然の終焉《しゅうえん》の時を夢み、その他花園の
准后の侍女参河局、花山院右大臣家の青侍江内、八幡の住人|右馬允《うまのじょう》時....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
の子。すでに一度|致仕しておったが、建武中興の後再び仕えて、従一位に昇り、北畠|
准后といわれた。彼が常陸の小田城・関城にいて軍を督率して戦ったことは人の知るとこ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
、一切、かたく口外を禁じられた。 内々のご評議やら、またこれを父のお立場から、
准后の阿野廉子にもおはかりになった結果か。――再度、坊門ノ清忠が信貴山の宮に謁し....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
上十数人、滝口、蔵人の輩など、寒々しいばかりである。――そしてただ多かったのは、
准后の廉子以下、あまたな女御やそれに侍く小女房たちの女人だった。 十日の宵には....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
葉が、御簾のあたりを打ッて、ともし灯のささえようすらないのであった。三位の廉子や
准后づきの女房らが、そのたび御座ノ間のおあかりに風ふせぎの工夫をしては、灯し直す....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
お送りいたしますゆえ、吉野へおわたり下さいまし。吉野には御父のみかど、御母の君(
准后ノ廉子)、みなおいで遊ばします。わけて御母の君にはどんなにお顔を見たがってい....