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几董
「几董〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
几董の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
一 ある時、半七老人をたずねると、老人は私に訊いた。 「あなたに伺ったら判るだろうと思うのですが、
几董という俳諧師はどんな人ですね」 時は日清戦争後で、ホトトギス一派その他の新....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
は島原八景、第七「桜の間」は狩野《かのう》常信の筆、第八「囲《かこい》の間」には
几董《きとう》の句がある。第九「青貝の間」は十七畳、第十「檜垣《ひがき》の間」は....
「郷愁の詩人 与謝蕪村」より 著者:萩原朔太郎
り》は何をする人ぞ」と双壁《そうへき》し、蕪村俳句中の一名句である。 この句|
几董《きとう》の句集に洩《も》れ、後に遺稿中から発見された。句集の方のは 門を出....
「漱石氏と私」より 著者:高浜虚子
越ゆるや山桜」を、「花の頃を越えてかしこし馬に嫁」と致し候が御賛成下さい。これは
几董調です。前のと伯仲の間だと仰せられては落胆します。「御前が馬鹿ならわたしも馬....
「俳人蕪村」より 著者:正岡子規
庵等種々の異名ありきとぞ。かの謝蕪村、謝寅、謝長庚、謝春星など言える、門弟にも高
几董《こうきとう》、阮道立《げんどうりつ》などある、この一事にても彼らが徂徠派の....
「俳句の作りよう」より 著者:高浜虚子
の「真田」の句と同様の詩を背景としての句であります。 生きて世に人の年忌や初茄子
几董 自分は大病をしてほとんど死ぬところであった。それが幸いに全快してかく生き....