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凶年
「凶年〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
凶年の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「カインの末裔」より 著者:有島武郎
に就いてであった。一反歩二円二十銭の畑代はこの地方にない高相場であるのに、どんな
凶年でも割引をしないために、小作は一人として借金をしていないものはない。金では取....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
かれ故郷へ還り得たと載す、智者大師の『観世音義疏《かんぜおんぎそ》』に晋の恵達、
凶年に甘草《かんぞう》掘るとて餓えた羌人《きょうじん》群に捕われ、かの輩肥えた人....
「護持院原の敵討」より 著者:森鴎外
四日で廻った。そこから加賀街道に転じて、越中国に入って、富山に三日いた。この辺は
凶年の影響を蒙ることが甚しくて、一行は麦に芋大根を切り交ぜた飯を食って、農家の土....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
る。諸国の百姓がどんなに困窮しても、寺納を減らして貧民を救おうと思う和尚はない。
凶年なぞには別して多く米銭を集めて寺を富まそうとする。百姓に餓死するものはあって....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
る。彼は枕の上で、郷里の方の街道を胸に浮かべた。去る天保四年、同じく七年の再度の
凶年で、村民が死亡したり離散したりしたために、馬籠のごとき峠の上の小駅ではお定め....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
ろう。その懸念が先に立って、過ぐる慶応三年は白粥までたいて村民に振る舞ったほどの
凶年であったことなぞが、旅の行く先に思い出された。 時はあだかも徳川将軍の処分....
「胡氏」より 著者:田中貢太郎
れでまた二人ともよく飲んだ。そして、夜明けになって帰って往った。 新婦は豊年と
凶年を知っていた。生活上のことは新婦の言葉に従ってやった。胡の兄弟及び母親は、時....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
書き出す。 既に米高と言ったから、米高がかった話より初めよう。昔スウェーデン大
凶年で饑飢免るべからずと知れた時、国民会議してすべての老人と病人を殺し、せめては....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
静かならず、因って生贄に供うべき人に何度ともなく物多く食わせ太らする習俗を載す。
凶年に病人多く世間|騒擾《そうじょう》するはもちろんだが、この文に拠ればその頃飛....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
聞いて、それが手に入ったらこんな辛労はせずに済むと百姓どもが吐息ついたので、今も
凶年に竹の実をジネンコと称えて採り食らうは自然粳《じねんこう》の義で、余り旨《う....
「草迷宮」より 著者:泉鏡花
いずれ一人、相孕の怪我がござるで、分別のうてはなりませぬ、)との。 喜十郎様、
凶年にもない腕組をさっせえて、(善悪はともかく、内の嫁が可愛いにつけ、余所の娘の....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
輸入になっている。一年中この近江から京都へ供給する米が、豊年に於ては七十五万俵、
凶年には四十万俵、平均のところ無慮五十万俵の数になっていて、米を京都に入れるには....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
、静かに寝て体力を養っているがいい、死なない程度に生きているがいい、そのうちには
凶年という年ばかりではないからな。 こういうようなことを言って慢心和尚が、与八....
「人口論」より 著者:マルサストマス・ロバート
て表を与えているが、その中から次の例を引いている。 /年次/結婚/出生/死亡
凶年/一七五七年/一八、七九九/八一、八七八/六九、〇五四
凶年/一七五八年/一....
「人口論」より 著者:マルサストマス・ロバート
快晴とし、そしてしかる後に引続き雨が降るのを見て大いに驚くのと、同じことである。
凶年の自然的傾向として、親方が同一数の人間を同一価格で雇傭し得ないので、一定数の....