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「出羽〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

出羽の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
る飛蠅《とびはえ》を払っていた。内藤|掃部頭正成《かもんのかみまさなり》、植村|出羽守家政《でわのかみいえまさ》、板倉|内膳正重正《ないぜんのしょうしげまさ》ら....
青春の逆説」より 著者:織田作之助
れまでに貴様の汚ない顔を見せなけりゃ、弥生座を焼いてやる! ――左様、おれは坂崎出羽守だ! 千姫はおれが救い出す。貴様なんか指一本触れさすものか! けっ、けっ、....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
来ました」 「それまで国にいたのか」 「いいえ。江戸へ一度出て来まして、それから出羽奥州、東海道、中仙道、京、大坂、伊勢路から北国筋をまわって、十一年目に江戸へ....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
のもとに一生を送ったのである。紅蓮尼は西行法師が「桜は浪に埋もれて」と歌に詠んだ出羽国象潟の町に生まれた、商人の娘であった。父という人は三十三ヵ所の観音|詣でを....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
る人は増右衛門、それがそのころの当主で、年は四十三四であったとか申します。先祖は出羽の国から出て来たとかいうことで、家号は山形屋といっていました。土地では旧家の....
桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
失敗とはその一半を能材の挙否に帰してもよかろう。 近い例でこの桶狭間の役に梁田出羽守には、善き一言よく大利を得しめたと云って沓掛村三千貫の地を与えたが、義元の....
真田幸村」より 著者:菊池寛
るれば必ず後より追撃されん」と忠直卿に言上した。 忠直卿早速、舎弟伊予守忠昌、出羽守直次をして左右両軍を連ねさせ、二万余騎を以て押し寄せたが、幸村は今暫く待っ....
山の湯雑記」より 著者:折口信夫
て貰った客などもあるであろうと思う。 最上の高湯は、何にしても、人がこみ過ぎる。出羽奥州の人たちは、湯を娯しむと言うより、年中行事として、尠くとも一週間なり、半....
発明小僧」より 著者:海野十三
電気振動が起らないから大丈夫です。」 陸相「よろしい。それまで!」 小僧「しかし出羽嶽みたいな背高ノッポは、出陣を見合わせにして下さい。そうでないと……。」 陸....
備前天一坊」より 著者:江見水蔭
れたのは勿論であった。 四 一方には旅医者奥野俊良。家老職池田|出羽に面会して、内密に落胤の事を談じ、表面は浪人御召抱えの嘆願という手筈を定めて....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
た。今度は一番目に据えられた五幕つづきの大作で、左団次は源三位頼政と長谷部信連と出羽判官光長の三役をつとめたが、そのなかでも信連の大立廻りが最も好評であった。そ....
かたき討雑感」より 著者:岡本綺堂
、すなわち建久元年の二月に、泰衡の遺臣|大河次郎重任(あるいは兼任という)が兵を出羽に挙げた。その宣言に、むかしから子が親のかたきを討ったのはある、しかも家来が....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
ころのもの一人を択びてこれが長となすとある。この意味から陸奥の俘囚長たる安倍氏、出羽山北の俘囚長たる清原氏が、またそれ自身俘囚の種であると認定さるべき理由がない....
オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
いうとの事が見えていた。文藝春秋所載柳田君の「オシラ神の話」にも、真澄翁の「月の出羽路」に、このオシラ神をオコナヒガミ(行神)というところありとの記事があること....
春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
昨年十一月に始めて出羽の踏査に着手したその続きを、この春の休暇中にやってみたいと思っている折から、....