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出藍
「出藍〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
出藍の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
は土佐守といい塚原城の城主であった。 下総の飯篠長威斎に天真正伝神道流を学び、
出藍の誉れをほしいままにしたのは、まだ弱冠の頃であった。後諸州を周歴し、佐野天徳....
「法窓夜話」より 著者:穂積陳重
vernmentを著し、ブラックストーンの陳腐説を打破して英国の法理学を一新し、
出藍《しゅつらん》の誉を後世に残したベンサムは、実にこの筆記せざる聴講生その人で....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
的である。これに反して抽斎が妻|五百のために撰んだ法諡は妙|極まっている。半千院
出藍終葛大姉というのである。半千は五百、
出藍は紺屋町に生れたこと、終葛は葛飾郡で....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
喪った初心者で斎田氏の門下に馳せ参じた者も些少ではなかったが、斎田氏の八釜しさが
出藍の誉があったものと見えて、しまいには佐藤文次郎氏一人だけ居残るという惨況であ....
「八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
ち、百家の流派を研精し、一派を編み出し竹林派と申す。嫡男新三郎水没し、次男弥蔵|
出藍の誉れあり、江州佐和山石田三成に仕え、乱後身を避け高野山に登り、後吉野の傍に....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
地に立合をした例《ためし》がないはず。 千葉周作の次男栄次郎を小天狗と称して、
出藍《しゅつらん》の誉れがある。これと斎藤の次男歓之助とを取組ましたら、絶好の見....
「細木香以」より 著者:森鴎外
ので、俗習に循って、それから七つ目の子を以て名となしたのである。二代目津藤として
出藍の誉をいかがわしい境に馳せた香以散人はこの子之助である。 三 ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ると、ちっとばかり恥かしいのさ、徳本は、拙者の先輩だが、道三の三喜におけるが如き
出藍《しゅつらん》ぶりがねえから、お恥かしいよ」 そうして、門前につないでおい....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
まだ君に話さなかった」 「聞きません――お弟子がお弟子だから、さだめてすばらしい
出藍《しゅつらん》ぶりと存じます、どうか、この鈍骨の先達《せんだつ》に、その研究....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
、勅命によって一見を仰せつけられたものは数々あった。歌道は飛鳥井家の門人であって
出藍《しゅつらん》の誉《ほまれ》高かったから、歌集の書写等を下命になったこともし....
「裏切り」より 著者:坂口安吾
酔うほどは飲まないタチでした。 法本は経済学の博士だか教授だかの子供で、これを
出藍のホマレと申すのかも知れませんが、ぼくらと同年輩でありながら、株で七八百万も....
「赤格子九郎右衛門」より 著者:国枝史郎
極わめた英傑、和漢洋の学に秀で、多くの門弟を取り立てたが、中に二人の弟子が有って
出藍の誉を謳われた。即ち、一人は川路聖謨、もう一人は佐久間象山であった。象山の弟....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
るのは馬琴が一歩譲るところがあったからだろう。それと同様、『蜘蛛の糸巻』に馬琴を
出藍の才子と称し、「読本といふもの、天和の西鶴に起り、自笑・其磧、宝永正徳に鳴り....
「古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
呂を取ったり、雑談にふけったり、その他いろいろの娯楽をやる。――しかしローマ人は
出藍のほまれがあったというだけで、もともとこの風俗をギリシア人から学んだのである....
「教育の目的」より 著者:新渡戸稲造
りも遥かに高尚な人間が出来たことを非常に感じ、かつ悦んだということである。これは
出藍《しゅつらん》の誉《ほまれ》ある者が出来たので、即ち教育家その人よりも立派な....