刑部[語句情報] » 刑部

「刑部〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

刑部の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
三浦右衛門の最後」より 著者:菊池寛
高天神《たかてんじん》の城へ右衛門の着いたのは、二日目の晩であった。城将の天野刑部《あまのぎょうぶ》が三年前に今川氏に人質になっていた時に右衛門は数々の好意を....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
するので、妖怪が姿を現わすようになったのかとも思われる。 牛寃 姚安公が刑部に勤めている時、徳勝門外に七人組の強盗があって、その五人は逮捕されたが、王五....
長篠合戦」より 著者:菊池寛
し、京都に入らんとする大志があったからだ。 だから、三方ヶ原の大勝後その附近の刑部にて新年を迎え、正月十一日刑部を発して、三河に入り野田城を囲んだ。が、城陥る....
碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
に討死しても日本の恥にもなるまい」と頑張って退く事を肯じない。三奉行の一人大谷|刑部少輔吉継、京城より馳せつけて隆景に説いた。「貴殿の御武勇の程は皆々存じては居....
無惨」より 著者:黒岩涙香
聞せて遣る事が有る実はナ」と云いながら又も声を低くし「現場に立会た予審判事を初め刑部に至るまで丸ッきり手掛が無い様に思って居るけれど未だ目が利ぬと云う者だ己は一....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
にも洞察することを力《つと》めたものである。関ヶ原の戦に金吾中納言の裏切を大谷|刑部《ぎょうぶ》が必ず然様《そう》と悟ったのも其の為である。氏郷の前軍の蒲生源左....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
にしをまた更に八十島過ぎて別れか行かむ 〔巻二十・四三四九〕 防人 防人、助丁刑部直三野の詠んだ歌である。一首の意は、これまで陸路を遙々と、いろいろの処を通っ....
「平家物語」ぬきほ(言文一致訳)」より 著者:作者不詳
にまみえずと云ったのもこのような事を云ったのであろう。此の北の方と云うのは故藤の刑部卿教賢の御女で上西門院に宮仕えして小宰相殿と申して居た。それをまだこの頃中宮....
学生と先哲」より 著者:倉田百三
、あながちにくやしく覚えて候へば、一代聖教を検べて、母の孝養を仕らんと存じ候。(刑部左衛門尉女房御返事)」 一体日蓮には一方パセティックな、ほとんど哭くが如き....
怪しの者」より 著者:国枝史郎
の憂欝からお心が荒み、継友様には再三家臣をお手討ちなされましたが、その中に、平塚刑部様という、御用人があり、生前に建てた庄内川近くの別墅へ、ひどく執着を持ち、お....
生死卍巴」より 著者:国枝史郎
は懐中へ手を差し込んで、仕舞って置いた書面を引き出した。 根津仏町|勘解由店、刑部殿参る―― こう宛名が記されてある。 「なるほど」と京助は声を洩らしたが、....
小坂部伝説」より 著者:岡本綺堂
ある。 まず伝説の方から云うと、人皇第九十二代のみかど伏見天皇のおんときに、小刑部という美しい女房が何かの科によって京都から播磨国に流され、姫山――むかしは姫....
古事記」より 著者:太安万侶
キナシノカルの太子の御名の記念として輕部をお定めになり、皇后樣の御名の記念として刑部《おさかべ》をお定めになり、皇后樣の妹のタヰノナカツ姫の御名の記念として河部....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
さず、若し違反する者あらば住民はその面貌 等を記して告発す可し』 と。そして清刑部郎中・端華如等をしてその事務を処理させた。 当時の北京は各国軍がそれぞれ駐....
黒部川を遡る 」より 著者:木暮理太郎
大きく穹窿状に拡がろうとする目の高さの処に、慶応三卯八月 山奉行辻安兵衛山廻伊藤刑部と書いた、かすかながらも残っている墨痕を見た覚えはないであろうか。此人々は恐....