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別当
「別当〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
別当の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「道祖問答」より 著者:芥川竜之介
天王寺《てんのうじ》の
別当《べっとう》、道命阿闍梨《どうみょうあざり》は、ひとりそっと床をぬけ出すと、....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
みると、三州池鯉鮒の宿のくだりに知立の神社のことが詳しく記されて「蝮蛇除の神札は
別当松智院社人よりこれを出だす。遠近これを信じて授かる者多し。夏秋の頃山中叢林に....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ゃあねえらしい。こりゃあ確かに本物だ」 神仏|混淆の時代であるから、この八幡の
別当所は大宮寺という寺であった。半七は
別当所へ行って、自分たちの身分を明かして、....
「青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
ていると、それが三月たっても半年たっても再び姿をみせない。元来が小さい社で神官も
別当もいるわけではないのですから、馬がどうして見えなくなったか、その事情は勿論わ....
「寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
でに記すが、この時の中幕は「箱根山曾我初夢」で、工藤祐経が箱根権現に参詣し、その
別当所で五郎の箱王丸に出会い、例の対面になるという筋であったが、その道具が居所替....
「悪因縁の怨」より 著者:江見水蔭
れは見立で御座いますな。相州江の島の弁財天と同体にして、弘法大師の作とあります。
別当は真言宗にして、金生山龍王密院と号し、宝永八年四月、海誉法印の霊夢に由り……....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
ず、しかもその武勇と忠実と、ともに東国武士の比にあらざりき。『源平盛衰記』に斎藤
別当実盛の言を記して、 坂東武者の習とて、父が死せばとて子も引かず、子が討たる....
「周防石城山神籠石探検記」より 著者:喜田貞吉
本誌に挿入しておいた通りで、すなわち山上には延喜式内に列せられた石城神社があり、
別当神護寺がその西南に並び、所謂山姥ノ穴は、山の北面に二つ、南面に一つ、東面に一....
「手長と足長」より 著者:喜田貞吉
だとも云うとある。また安政の毛呂権蔵著上野国志によるに、貞任の残党説は、その社の
別当国泉寺の寺記から出ているらしい。国志の記する土人の説には、 上古長人あつて人....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
古くからその非再建たる事を信じていたのであった。延長年間講堂の炎上に際し、当時の
別当観理僧都は、「聖人の建立猶此の怖れあり、何ぞ況や凡夫の造る所に於てをや」とい....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
、東国武士との間には、余程武勇の点において相違がありました。源平合戦の時に、斎藤
別当実盛が、両者を比較しまして、 坂東武者のならひとて、父が死せばとて子も引かず....
「大力物語」より 著者:菊池寛
天皇の皇子の式部卿の宮の御子である。この人は、広沢に住んでいたが、同時に仁和寺の
別当をも兼ねていた。
別当というのは、検非違使の長官をも云うのだが、神社仏寺の事務....
「女強盗」より 著者:菊池寛
一 隆房大納言が、検非違使(警視庁と裁判所をかねたもの)の
別当(長官)であった時の話である。白川のある家に、強盗が入った。その家の家人に、....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
が動いていたので、摂関家に抑えられていた反対勢力が、院の御所の事務長官である院|
別当などを頭に立てて、源氏平家の武力を京都で行使させるという風になっていたときな....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
にエタと呼ばれる様になったのは、鎌倉時代以来の事であった。大永三年に鶴岡八幡宮の
別当法眼良能から、山ノ内・藤沢の長吏に与えた文書にも、「八幡宮掃除。」とある。鶴....