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「刺史〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

刺史の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
寒山拾得」より 著者:森鴎外
簿になっていたと言い伝えられているのに、新旧の唐書に伝が見えない。主簿といえば、刺史とか太守とかいうと同じ官である。支那全国が道に分れ、道が州または郡に分れ、そ....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
、彼女には首がなかった。それがためか、先生は大臣にも大将にもなれず、ついに柳州の刺史をもって終った。 玄陰池 太原の商人に石憲という者があった。唐の長慶....
魚玄機」より 著者:森鴎外
久しく襄陽に往っていた温が長安に還ったので、李がその寓居を訪ねた。襄陽では、温は刺史徐商の下で小吏になって、やや久しく勤めていたが、終に厭倦を生じて罷めたのであ....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
来たので、猟師はその場に仆れてしまった。 白亀 東晋の咸康年中に、予州の刺史毛宝が※の城を守っていると、その部下の或る軍士が武昌の市へ行って、一頭の白い....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
くえを知ることが出来ませんでした。 桃林の地妖 ※の王審知はかつて泉州の刺史(州の長官)でありましたが、州の北にある桃林という村に、唐末の光啓年中、一種....
十二支考」より 著者:南方熊楠
の穀を食うとも追い払う事なからしめたと。『朝野僉載《ちょうやせんさい》』に、徳州刺史張訥之の馬、色白くて練《ねりぎぬ》のごとし、年八十に余りて極めて肥健に、脚|....
十二支考」より 著者:南方熊楠
なれと悟り、殺し烹《に》て汁にして父に食わすと平癒した。子珍、後に出世して太原の刺史となり、百三十八歳まで長生したは李玄石の陰祐《いんゆう》による。〈故にいわく....
涼亭」より 著者:田中貢太郎
で女の児の顔を切ってから逃げましたが、後十四年たってその男が高官にのぼったので、刺史をしていた人が娘をくれましたが、その女は綺麗でしたが、平生も眉間へ鈿をさげて....
加利福尼亜の宝島」より 著者:国枝史郎
一人は慍る色あり。ここにおいて喜ぶ者を捕らう。はたして賊也」 「魏の李恵、雍州に刺史たり、薪を負う者と塩を負う者とあり。同じく担を弛めて樹蔭に憩う。まさに行かん....
法然行伝」より 著者:中里介山
く春秋八十歳で念仏往生を遂げた。 この律師が鎌倉を立って飯山へ下った時に武州|刺史朝直朝臣《ししともなおあそん》、その時二十二歳、相模四郎といったが、律師の輿....
三国志」より 著者:吉川英治
くみに買収したので、不問に終ったのみか、かえって顕官の地位を占めて、今では西涼の刺史、兵二十万の軍力をさえ擁していた。 その董卓の手へ、 「洛陽からです」 ....
三国志」より 著者:吉川英治
不遇な郷士が動かされた。 「陳宮、こんな雑兵じゃ仕方がないが、もっと有力な諸州の刺史、太守などが集まるだろうか」 時々、彼は陳宮へ計った。 陳宮は献策した。....
三国志」より 著者:吉川英治
さて、そこで。 孫策が、第一の敵として、狙いをつけたのは叔父呉を苦しめた楊州の刺史|劉※である。 劉※は、揚子江岸の豪族であり、名家である。 血は漢室のな....
三国志」より 著者:吉川英治
のうちにこの人があろうとは、正に、天佑ではないか。見たまえ、ご列親のうちに予州の刺史劉玄徳の名があるではないか」 「おお……」 「爾余の十人よりも、この人ひとり....
旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
二十一年版)には、その貫名氏の先祖調べを行って、日蓮本姓三国氏だと云い、父は遠州刺史、すなわち遠江守貫名重実の次子重忠までは前者と同一だが、さらにその先は聖武天....