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前田利家
「前田利家〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
前田利家の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
い状態になった。時に午前十時頃。 鳴海の方面へ屯して居た佐々政次、千秋|季忠、
前田利家、岩室|重休等は信長が丹下から善照寺に進むのを見て三百余人を率いて鳴海方....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
場信房は、一旦退いたものの直ちに引返して、手勢わずか八十をもって三の柵際に来り、
前田利家、野々村三十郎等の鉄砲組の備えを追散らして居た。勇将の下弱卒なしである。....
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
しむべし、と云うのである。勝家喜び同心して、家臣小島若狭守、中村|文荷斎をして、
前田利家、金森|長近、不破彦三を招き寄せた。勝家の云うよう、「某とかく秀吉と不和....
「小田原陣」より 著者:菊池寛
生|氏郷が伊勢松坂城を出発した。続いて徳川家康、織田信雄は東海道から、上杉景勝、
前田利家は東山道から潮の様に小田原指して押しよせた。「先陣既に黄瀬川、沼津に著ぬ....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
って、政宗を引付けようというにあったこと勿論である。秀吉の命に出たことであろう、
前田利家からも通信は来ている。が、ここまでは何れにしても何でも無いことだったが、....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
を早くも旗色で太田三楽が見て取った頭の働きには、太閤秀吉も舌を捲いて、かたわらの
前田利家を見て、秀吉が申さるるようは、いかに前田、この席に三つの不思議がある、そ....
「老狸伝」より 著者:佐藤垢石
原の北条を攻めたのは、天正十八年である。そのとき、これに呼応して北陸の上杉景勝、
前田利家が相携えて大兵を進め、信州から碓氷峠を越えて上州へ攻め入った。まず松井田....
「文化史上より見たる日本の数学」より 著者:三上義夫
説き、毛利は算盤を伝授した。門弟数百人もあったというからよほど行われたと見える。
前田利家が名護屋の陣中に携えたという懐中用の算盤は現に前田家に保存されている。そ....