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副使
「副使〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
副使の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「十二支考」より 著者:南方熊楠
カルカ辺で兎狩した事を記して歩卒三、四百人弓矢を帯びて三重に兎どもを取り巻き正使
副使と若干の大官のみ囲中に馬を馳《は》せて兎を射、三時間足らずに百五十七疋取った....
「島原の乱」より 著者:菊池寛
すべからずと云って許さず、よって板倉内膳正|重昌を正使とし、目付|石谷十蔵貞清を
副使と定めた。両使は直ちに家臣を率いて出府した。上使の命に従うこととなった熊本の....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
橋慶喜ですら、三条実美、阿野公誠を正使とし、滋野井実在、正親町公董、姉小路公知を
副使とする公卿たちから、将軍|入洛以前にすでに攘夷期限を迫られていたほどの時であ....
「李陵」より 著者:中島敦
の使節として捕虜《ほりょ》交換のために遣《つか》わされたのである。ところが、その
副使某がたまたま匈奴の内紛《ないふん》に関係したために、使節団全員が囚《とら》え....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
万延元年(この小説の時代より五六年前)幕府が、新見豊前守を正使とし、村垣淡路守を
副使とし、小栗上野介《おぐりこうずけのすけ》を監察として、第一回の遣米使節を派遣....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
官奥平三左衛門は隠居、目付で上席三人の皆川武大夫、野口佐平太と私の父、及び奥平の
副使となった矢島大之進は目付支配を命ぜられて、いずれも謹慎せよとの事であった。そ....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
、「あしひきの山下ひかる黄葉の散りの乱は今日にもあるかも」(巻十五・三七〇〇)、
副使大伴|三中が、「竹敷の黄葉を見れば吾妹子が待たむといひし時ぞ来にける」(同・....
「奥の海」より 著者:久生十蘭
るこったろうよ」 烏丸中納言は奇人の聞えの高いお公卿で、毎年四月、日光例幣使の
副使として、往きは中仙道、帰りは江戸をまわって東海道を通るが、両便と泊りのほか、....
「古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
彼は日本渡来の願望を捨てなかった。 天平勝宝五年秋に至って、入唐大使藤原清河、
副使|大伴胡麿、吉備真備などが、揚子江口なる揚州府の延光寺に和尚を尋ねて使節の船....
「黒田清隆の方針」より 著者:服部之総
十二日、こんどは日本政府そのものが、わたってゆく。大使|岩倉《いわくら》右大臣、
副使|木戸《きど》参議、大久保内務卿、伊藤工部大輔以下七十名。開拓使女子留学生た....
「明治の五十銭銀貨」より 著者:服部之総
伊藤少輔であった証拠は、明治五年十一月三日付、そのときは工部|大輔《たいふ》遣外
副使として在米中の彼から愛妻お梅に送った手紙に、 「まゆげをたてたるも、かねを....
「鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
また、宇治の竹内式部へも召捕りの人数が向い、公儀より正式に徳島城へ向って、大目付
副使、ふたりの上使が立てられ、すでに今朝は大阪を出発した筈――もう多くの弁にも及....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
、次の日、万里小路ノ大納言宣房は、七十ぢかい老躯をもって、関東下向の旅についた。
副使は、三条公明。 もちろん、勅使とあっては、鎌倉方でも、粗略にはできない。 ....