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副将軍
「副将軍〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
副将軍の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「老中の眼鏡」より 著者:佐々木味津三
敷である。――その水一つ隔てた高い土手のかなたの大江戸城を永劫に護らせんために、
副将軍定府の権限と三十五万石を与えてここに葵柱石の屋敷をも構えさせたのに、今はそ....
「西湖主」より 著者:田中貢太郎
陳弼教は幼な名を明允といっていた。燕の人であった。家が貧乏であったから、
副将軍|賈綰の秘書になっていた。ある時賈に従って洞庭に舟がかりをしていると、たま....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
に駆使するところの大将が近藤勇で、副将が土方歳三《ひじかたとしぞう》である。その
副将軍土方歳三とわたしは心安い。つい今の先も、昔の歳どんで附合って来た。その力を....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ャカポコ チャカポコ チャカポコ 水戸の甚六《じんろく》、困ったものだよ
副将軍と言われるお人が 一国さて置き 半国ばかりの政事ができぬか 家来は不服で四....
「庚娘」より 著者:田中貢太郎
で離れようとはしなかった。 「私は妾になってもよろしゅうございます。」 その時
副将軍の袁公という者があって、尹翁と古い知合であった。ちょうど西の方に向けて出発....
「尊攘戦略史」より 著者:服部之総
容としたものではなかった。反対に、本来のそれは、幕権のためにする名実ともに「天下
副将軍」的なスローガンとして生れたものである。 近世史上の尊王論そのものが、や....
「撥陵遠征隊」より 著者:服部之総
運動の大立物|大院君《たいいんくん》は、摂政として全実権を収めていたから、幕末の
副将軍家|水戸斉昭《みとなりあき》の比ではなかった。摂政となって二年目(一八六六....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
となった。しかし世人は、直義のありかたと、幕府のたてまえから推して、彼を現下の、
副将軍 と、観ていた。 事実、直義自身も、それくらいな気位だった。このさいの....