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創建
「創建〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
創建の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
ることも無い。わたしは平気で寝ていられるのだ。が、昔はどうであったろう。この社の
創建は遠い上代のことで、その年時も明らかでないと云う。尤もその頃は牡鹿半島と陸続....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
しきれない学者の間の問題に「法隆寺再建非再建」の問題がありました。
聖徳太子の
創建し給える大和の国の法隆寺は、日本文化の源泉地であり、世界最古の木造建築という....
「飛騨の顔」より 著者:坂口安吾
美術品とは違って、これこそはヒダのタクミの名作の一ツであろう。 ヒダの国分寺は
創建もまもないうちに焼けた。そこにあった行基作の仏像は共に焼けたに相違ない。今の....
「日本文化私観」より 著者:坂口安吾
だきたい、と、取調室にいるように三拝九拝していた。 宇治の黄檗山万福寺は隠元の
創建にかかる寺だが、隠元によれば、寺院建築の要諦は荘厳ということで、信者の俗心を....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
社も、ミカ神社も、北向明神もみんな自分の配下で、北向明神というのは坂上田村麻呂の
創建というが、実際は臣下の子孫が何々党をたてて遂に神の子孫を追うに至ったとき、神....
「銅銭会事変」より 著者:国枝史郎
と称する大寺あり。堂塔|伽藍樹間に聳え、人をして崇敬せしむるものあり。達尊爺々の
創建せるも技一千数百年の星霜を経。僧侶数百の武に長じ、軍略剣法方術に達す。 康....
「二都物語」より 著者:佐々木直次郎
ロンドンの古くから有名な監獄。旧ロンドン市の西の門のところにあった。一二一八年に
創建されて一九〇二年に取毀されるまであったのだから、この作中の時代のみならず、こ....
「九条武子」より 著者:長谷川時雨
、真宗大谷派本願寺のお東《ひがし》とが分岐した。東は、西の十一世顕如の長子教如の
創建で、長子が寺を出たということには、意見の相違があり、閨門《けいもん》の示唆に....
「ミケランジェロの彫刻写真に題す」より 著者:高村光太郎
としている。われわれは一切を包摂し、融合して、進んで全一のコスモス的美の世界像を
創建せねばならぬ。人類の持つ高次の彫刻性に二あるわけはない。それは恐らく星の世界....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
で、なかなか結構でありました。 そして、その中には、五百羅漢を彫った当羅漢寺の
創建者である松雲|元慶禅師の観音もありましたこと故、私の修業時代は、本所の五ツ目....
「植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
上で黄金の千光眼《せんこうがん》の影向《ようごう》を拝し玉ひしゆゑ爰に千手大士を
創建《そうこん》し玉ひ補陀楽山千手院《ふだらくさんしんじゅいん》と名付玉ふたとい....
「山道」より 著者:中里介山
帝国大学の図書館に取って見たいと思います、諸君、浅草の観音堂はたしかに寛永時代の
創建と聞きました、無論、東京の市中では古建築の部に属する代表的の一つでしょう、本....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
古瓦には罹災の痕跡が無かった。しからばすなわち従来所謂飛鳥式の古瓦として、推古朝
創建の当初の法隆寺伽藍を蓋うたと信ぜられたものは、実は天智朝罹災後再建せられた第....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
きではないか。釈尊は遠き末世を予言しておられたが、わが上宮太子も、すでに四天王寺
創建のころ、今を見とおしておられたのだ」 中院ノ俊秀は、自分の弁に酔うがごとく....
「随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
ずいぶん長い法名だが、すでに征夷大将軍尊氏の母であり、尊氏の手で天龍寺や等持院も
創建されていた。おそらく都の葬式は盛儀を極めたものだったろう。 ほかに、清子の....