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「劇壇〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

劇壇の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
年の八月に左団次の死んだことを新聞紙上で僅かに知ったに過ぎなかった。実際、軍国の劇壇には余りいちじるしい出来事も無かったらしかった。 明治三十八年五月、わたし....
天馬」より 著者:金史良
それ程でもないんですけれど……だが実際にあの人達は自分で云っているように、文壇や劇壇等で相当活躍しているんでしょうかね」 「そうですよ、あの連中が一流どころです....
伯爵の釵」より 著者:泉鏡花
浄める水だもの。」 直接に吻を接るのは不作法だ、と咎めたように聞えたのである。劇壇の女王は、気色した。 「いやにお茶がってるよ、生意気な。」と、軽くその頭を掌....
あるニュウ・フェイスへの手紙」より 著者:岸田国士
昭和二十五年秋、いわゆる「演劇の立体化運動」のために文壇、劇壇の有志数十名により「雲の会」が作られ、その活動の一つとして翌年五月、月刊雑誌....
演劇の様式――総論」より 著者:岸田国士
というのは、なんのことだか想像もつかぬような名称であるが、これがわが国の一時代の劇壇には、ちやんと通用したひとつの「演劇のかたち」を指すのである。 それは、「....
オフェリヤ殺し」より 著者:小栗虫太郎
情生活なども持ち出されて、些細な考証の、末々までも論議されるのだった。 然し、劇壇方面には、意外にも非難の声が多く、結局、華麗は悲劇を殺す――と罵られた。勿論....
大阪の可能性」より 著者:織田作之助
白を書いても結構流行劇作家で通り、流行シナリオ・ライターで通っているという日本の劇壇、映画界の低俗さには、言うべき言葉もない。しかし、文壇にしても相当怪しい会話....
夜の構図」より 著者:織田作之助
の田村礼介のことである。田村はもと左翼劇団の演出家であり戯曲のほかに小説も書き、劇壇より文壇で有名であったが、思想運動の嫌疑で検挙され、保釈出獄以来執筆は許され....
小山内薫先生劇場葬公文」より 著者:久保栄
吉田久継氏が遺族の希望によってデスマスクを取った。二十六七日の両夜、遺族、近親、劇壇、文壇、映画界その他の知友子弟一同棺前に侍して通夜を営んだ。 二十八日は告....
熱情の人」より 著者:久保栄
明治、大正、昭和の三つのジェネレエションにわたって、真砂座から築地小劇場にいたる劇壇生活の長い道程を、この詩人的な熱情がひと筋に貫いていると言っても過言ではない....
イプセン百年祭講演」より 著者:久保栄
トルストイがイプセンとおない年の生誕百年、マクシム・ゴリキイが六十年記念、ドイツ劇壇ではシュテルンハイムとカイザアが、そろって生誕五十年を迎えます。 余談は措....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
感――六三掛け 興行困難時代 開場期日――劇場の経営惨澹――観客ただ一人――明治劇壇の功労者――俳優の共進会――『有喜世新聞』の劇評 番附と絵本 江戸以来の芝居....
当今の劇壇をこのままに」より 著者:岡本綺堂
今の劇壇、それはこのままでいいと思う。旧臘私は小山内君の自由劇場の演劇を見た、仲々上....
源之助の一生」より 著者:岡本綺堂
わけで、半四郎歿後の半四郎は自然に源之助と決められてしまった。沢村源之助は東京の劇壇に欠くべからざる女形となった。人気の隆々たるこというまでもない。 その東京....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
と称せらる。 ○三月二日、二代目尾上多見蔵、大阪に死す。八十八歳の高齢にて、大阪劇壇の重鎮と仰がれいたるなり。 ○五月、新富座にて「夢物語盧生容画」を初演。団十....