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加藤弘之
「加藤弘之〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
加藤弘之の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「近時政論考」より 著者:陸羯南
淵源はおもに近世の法理学にあるがゆえに、自ら権義の理を重んずるの傾きあり。吾輩は
加藤弘之氏、箕作麟祥氏、津田真道氏をもって国権論法の巨擘となすに躊躇せず。この論....
「法窓夜話」より 著者:穂積陳重
んずく》泰西法学の輸入および法政学語の翻訳鋳造については、吾人は津田真道、西周、
加藤弘之、箕作麟祥の四先生に負うところが最も多い。津田先生の「泰西国法論」、西先....
「日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
沢諭吉氏によって、フランス唯物論としては中江兆民氏によって、ドイツ唯物論としては
加藤弘之氏によって代表されたが、第一のものは日本ブルジョアジーの日常処生訓として....
「現代哲学講話」より 著者:戸坂潤
ある。 所謂文化危機を打開するものは、唯物論的弁証法の範疇がなり立つのである。
加藤弘之・井上哲次郎等の諸氏によって代表された我が邦の官学哲学が、外国書翻読の時....
「繻珍のズボン」より 著者:宮本百合子
明治初年の年表を見ていたらその中に『明六雑誌』というものがあり、福沢諭吉、西周、
加藤弘之、津田真道等という顔ぶれに交って祖父の名が出ていた。『明六雑誌』というも....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
寸見たら、明治七年に日本で殆どはじめて明六社雑誌というのが出て、その同人に西周、
加藤弘之、森有礼その他のうち、西村茂樹が加って居るのを見て面白く思いました。てっ....
「生前身後の事」より 著者:中里介山
、今日に至ると全く一変している。 それから、学術界の方で出京早々十四五歳の時、
加藤弘之博士の講演を聞いたことがある、所は帝国教育会の講堂、加藤博士は監獄教誨師....
「明治哲学界の回顧」より 著者:井上哲次郎
学に関係のある主なる人々を挙ぐれば、まず西周《にしあまね》を筆頭とし、西村茂樹、
加藤弘之、外山正一《とやままさかず》、中江篤介などであった。しかして自分もその間....
「明治哲学界の回顧」より 著者:井上哲次郎
主義、機械主義等の主張者とたたかってきたのである。もっとも激しくたたかった相手は
加藤弘之博士であった。元良《もとら》勇次郎は友人ではあったけれど、学説においては....