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「勅語〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

勅語の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
如是我聞」より 著者:太宰治
、半信半疑のものである。けれども、先輩の、あれは駄目だという一言には、ひと頃の、勅語の如き効果がある。彼らは、実にだらしない生活をしているのだけれども、所謂世の....
最終戦争論」より 著者:石原莞爾
新は正しく東亜の維新であり、昭和十三年十二月二十六日の第七十四回帝国議会開院式の勅語には「東亜ノ新秩序ヲ建設シテ」と仰せられた。更にわれらは数十年後に近迫し来た....
自叙伝」より 著者:大杉栄
。 やはりこの教頭の話で、もう一つ覚えていることがある。それは、遼東半島還附の勅語の中の、「報復」という言葉の解釈についてであった。その言葉の前後は今は何にも....
般若心経講義」より 著者:高神覚昇
九年の昔、すなわち天平宝字二年の八月に下し賜わった淳仁天皇の詔勅であります。その勅語の中にこう仰せられております。 「摩詞般若波羅蜜多は、諸仏の母なり。四句の偈....
田舎教師」より 著者:田山花袋
で式があった。学務委員やら村長やら土地の有志者やら生徒の父兄やらがぞろぞろ来た。勅語の箱を卓の上に飾って、菊の花の白いのと黄いろいのとを瓶にさしてそのそばに置い....
梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
た事を想起する。 以上を要するに翁の生涯は「恭倹己を持し、博愛衆に及ぼし」の御勅語を国粋中の国粋たる能楽道に於て丈夫に一貫したものである事実が、この記録によっ....
惜別」より 著者:太宰治
せぬ事。それだけや。」 始業のベルが、さっきから鳴っているのである。 「教育|勅語に、何と仰せられています? 朋友相信じ、とありましたね。交友とは、信じ合う事....
灰色の記憶」より 著者:久坂葉子
。唯一つ、この役目で辛いことがあった。それは、べんとうをたべる前に、教壇へたち、勅語や教訓を級友達に先だって大声でそらんじることであった。私は、暗誦がちっとも出....
次郎物語」より 著者:下村湖人
て先にあがった。平木中佐は靴をぬぎかけていたが、鈴田に向って、 「今日の式には、勅語の捧読があるんじゃありませんか。」 「ええ、それはむろんありますとも。……」....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
きだった。荘重なオルガンのクラシカルな音。女の子の美しい、高い声での唱歌。厳かな勅語捧読、最敬礼、菊の紋章のついたお菓子を貰って、その日はお休みだ。菊の薫りのよ....
天長節の式場」より 著者:田中貢太郎
大正十一年十月三十日、横浜市横浜尋常高等石川小学校では、例年の如く天長節の勅語奉読式を挙行した。 その翌日になって、第四年生一組の受持訓導S君は、同級生....
明治哲学界の回顧」より 著者:井上哲次郎
ては遺憾の点がはなはだ多かったところからして、明治二十三年十月三十日をもって教育勅語が煥発されるようになった次第である。自分はちょうどこの教育勅語煥発の際にドイ....
子規居士と余」より 著者:高浜虚子
説法された。この説法がひどく余の気に入らなかった。三高では折田校長が声を顫わせて勅語を朗読さるる位の外あまり顔も出さず、小言も言われなかったが、それでも一高に比....
チベット旅行記」より 著者:河口慧海
時に、シナの十八省およびチベット、モンゴリヤ等の部分へ黄色な紙に書いたシナ皇帝の勅語を発した。 でチベットでの一番始めのは、ラサ府の釈迦堂の横にある町家の石壁....
私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
戦後はそんなこともなく明るくなったのが喜ばしい。 八、社会党誕生す 私は終戦の勅語を深川の焼け残ったアパートの一室で聞いたが、このときの気持を終生忘れることが....