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勇名
「勇名〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
勇名の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
川方の連中は、金持喧嘩せずの方で、家康への義理戦で、打算戦であるだけに、大阪方の
勇名ばかりが残ることになったのだろう。 長曾我部盛親だけが大名格で、後は前に書....
「小田原陣」より 著者:菊池寛
だけに名君の誉ある父の氏康の心痛は思いやられる。氏康は川越の夜戦に十倍の敵を破り
勇名を轟かした名将で、向う創のことを氏康創と云われた位の男である。 一日、父子....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
九州攻めには、堀秀政の攻めあぐんだ巌石《がんじゃく》の城に熊井越中守を攻め伏せて
勇名を轟《とどろ》かした。今ここに氏郷の功績を注記したい意も無いから省略するが、....
「踊る地平線」より 著者:谷譲次
いう元|露西亜軍隊の将校で、日露戦争に旅順で奮戦して負傷した老人に会った。かれの
勇名は乃木大将の耳にもはいって、敵ながらも天晴とあって将軍から感状をはじめ色々の....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
時に緊張し、前かけの紐しめ直して台所へこそ、いでにけり。だってね、この人の健啖は
勇名轟いていて、わが家の剛の者が束になってかかったってかなわないのよ。紀の兄で十....
「書かれざる作品」より 著者:豊島与志雄
に記念物として保存されている軍艦三笠を、遠くから望見した時、私は、日本海大海戦に
勇名を馳せた軍艦のなれのはてに、一種の感懐を禁じ得なかった。そしてその感懐が、ひ....
「レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
いては、敵の砲火の下を冒してなされたあの驚嘆すべき梯形《ていけい》行進中にあって
勇名を上げた。ロシア近衛騎兵《このえきへい》が歩兵第四連隊の一隊を壊滅さした時、....
「次郎物語」より 著者:下村湖人
誰もそれを彼の敗北のしるしだと思う者はなかった。このごろ少し落目になっていた彼の
勇名は、そのため完全に復活した。上級の子供たちまでが、学校の往き帰りに、彼に媚び....
「安吾巷談」より 著者:坂口安吾
。吉原の吉原病院と同じ性質の診療所だ。 武蔵新田のパンパン街というものは、私の
勇名なりひびいているところで、古い子で私を知らぬパンパンはいない。この入院中、病....
「赤格子九郎右衛門」より 著者:国枝史郎
いるような享保年間の人物では無く実に豊臣の晩年から徳川時代の初期にかけて、内外に
勇名を轟かせた所の、堂々たる一個の武人なのである。 而て又「緑林黒白」によれば....
「九段」より 著者:坂口安吾
も足がふらつくことがないので、落ちて死ななかったのは幸せだった。その時以来浅草に
勇名なりとどろき、私の酒の酔いッぷりに例をとって小安吾、中安吾、大安吾という言葉....
「安吾人生案内」より 著者:坂口安吾
ない方である。酔っ払って、他の酔っ払いの為し得ない放れ業は数々これを行い、諸方に
勇名をとどろかしたものであるが、こういうバカげた大勘定をつきつけられたことはない....
「明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
ンドウは今では十一人の子持ちであるが、当時は八人の子持ちで、小田原きっての貧乏で
勇名をとどろかしていたのである。 しかし今から思うと彼の貧乏は豪勢なものであっ....
「怪異暗闇祭」より 著者:江見水蔭
一 天保の頃、江戸に神影流の達人として
勇名を轟かしていた長沼正兵衛、その門人に小机源八郎というのがあった。怪剣士として....
「昭和遊撃隊」より 著者:平田晋策
が昭和遊撃隊も、じつによく戦った。『千種』『吉野』『八島』らはなくなったが、その
勇名は、いつまでも国史の花とかがやくであろう。 わが聯合艦隊と昭和遊撃隊は、血....