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「勧修寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

勧修寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
いたものがあった。すると、この乱暴者はにやりと笑ったのみで、何とも答えなかった。勧修寺大納言経広は心ざまが真直で、誰に遠慮もなく物の言える人だった。 時の禁裏....
東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
見渡すにあまりに高貴な家は少ない。母は甘露寺家の出で房長の娘親長の姉である。妻は勧修寺教秀の女で、実隆の子公条の妻もまた甘露寺家から嫁入りをしている。要するにそ....
娘煙術師」より 著者:国枝史郎
る東山の、円らの姿は薄墨よりも淡く、霞の奥所にまどろんでおれば、知恩院、聖護院、勧修寺あたりの、寺々の僧侶たちも稚子たちも、安らかにまどろんでいることであろう。....
痀女抄録」より 著者:矢田津世子
次第に巧妙となったということは想像に難くないが、現存のものでは右の経文の他に山科勧修寺の繍仏、近江宝厳寺蔵の国宝「刺繍普賢十羅刹女図」の額、「弥陀三尊来迎図」の....
長吏名称考」より 著者:喜田貞吉
抄」僧官の部に、 三井寺主 云之。 とある。叡山で座主、東寺で長者という類で、勧修寺でもやはりその最上席の僧を長吏と云っている。「勧修寺長吏次第」に、 或記云....
鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
手袋をさして、布わらじを穿いている。誰の目にも、一目|瞭然たる、その筋の上役人。勧修寺の池だった。 その役人と配下の者数名が、わらじを歩いてくると、こっちへ向....
私本太平記」より 著者:吉川英治
そんな文雅な人を訪うのはためらわれたが、これは母との約束だった。 元来、母系は勧修寺家の公卿出であったから、彼の母もわが子をただあじけない坂東骨一辺の粗野な武....
私本太平記」より 著者:吉川英治
ら供奉の人々も、今は、 按察使ノ大納言|資名 綾の小路中将重資 宰相の有光勧修寺中納言|経顕など、ほんの七、八人に過ぎず、かえりみ合って、 「みなどうした....
紅梅の客」より 著者:吉川英治
ともいたのである。 話はとぶが、庭に紅梅を貰ったつい数日前の早朝だった。山科の勧修寺のほとりにいる大石順教尼が訪ねて来られた。このひとは十七歳のときから両手が....