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「勧工場〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

勧工場の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
耽溺」より 著者:岩野泡鳴
している?」 「下駄屋」 「おッ母さんは?」 「芸者の桂庵」 「兄さんは?」 「勧工場の店番」 「姉さんは?」 「ないの」 「妹は?」 「芸者を引かされるはず」....
千鳥」より 著者:鈴木三重吉
の筒を持って出てくる。筒の底には紙が張ってあって、長い青糸が真ん中を繋いでいる。勧工場で買ったのだそうである。章坊は片方の筒を自分に持たせて、しばらく何かしら言....
うつり香」より 著者:近松秋江
にかけて年の暮れに押し迫った人の往来忙しく、売出しの広告の楽隊が人の出盛る辻々や勧工場の二階などで騒々しい音を立てていた。私はそんな人の心をもどかしがらすような....
柿の種」より 著者:寺田寅彦
発見が生まれるのである。(大正十一年八月、渋柿) * シヤトルの勧工場でいろいろのみやげ物を買ったついでに、草花の種を少しばかり求めた。 その....
惜別」より 著者:太宰治
、牛乳屋、コーヒー屋、東京にあって仙台に無いものは市街鉄道くらいのもので、大きい勧工場もあれば、パン屋あり、洋菓子屋あり、洋品店、楽器店、書籍雑誌店、ドライクリ....
不尽の高根」より 著者:小島烏水
が熔岩の裂け目に食い込み、すべりもせずに頂上に出られた。頂上には旅人宿めいた室、勧工場然たる物産陳列所、郵便局、それから中央の奥宮社殿は、本殿、幣殿、拝殿の三棟....
銀座アルプス」より 著者:寺田寅彦
はそのころ店先をちょこちょこ歩いていたかもしれないという気がする。 新橋詰めの勧工場がそのころもあったらしい。これは言わば細胞組織の百貨店であって、後年のデパ....
竹の木戸」より 著者:国木田独歩
。お清は勿論、真蔵も引出されて相槌を打って聞かなければならない。礼ちゃんが新橋の勧工場で大きな人形を強請って困らしたの、電車の中に泥酔者が居て衆人を苦しめたの、....
三筋町界隈」より 著者:斎藤茂吉
がかいてあったが、これは浅草公園のものほど度々は見ずにしまった。そのころ仲見世に勧工場があって、ナポレオン一世、ビスマルク、ワシントン、モルトケ、ナポレオン三世....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
かを知らない。しかし恐らく境遇のせいであったろう。 が彼女は事情があって、市の勧工場に勤めることになった。彼女は毎日弁当を持って勧工場に通い、事務の手伝いした....
註文帳」より 著者:泉鏡花
るが、とかく気になるという足取。 ここに金鍔屋、荒物屋、煙草屋、損料屋、場末の勧工場見るよう、狭い店のごたごたと並んだのを通越すと、一|間口に看板をかけて、丁....
少年の食物」より 著者:木村荘八
ら今思えばモザイク風に描いた、顔や胸などの継々になっている絵を見ました。私はその勧工場で木版の羽衣双六と云うのを買って来ましたが、正月のことで、今云ったモザイク....
早稲田神楽坂」より 著者:加能作次郎
たのを、私は今でも微かに記憶している。今活動写真館になっている文明館が同じ名前の勧工場だったが、何でもその辺から火事が起ってあの辺一帯が焼け、それから今のように....
雷門以北」より 著者:久保田万太郎
途中である。 角、「たつみ食堂」と称するもののいまあるところに「梅園館」という勧工場があった。――そこを「仲見世」へ出たわたしは、そのまま左へ仁王門のほうへ道....
新古細句銀座通」より 著者:岸田劉生
きな敵の様な気が子供心にして反感を持っていたことなど思い出す。 私の家の隣には勧工場があって私たち兄弟たちは毎日の様にそこへ行った。何でも私の家の家作であって....