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「匈奴〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

匈奴の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
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十二支考」より 著者:南方熊楠
人の子を育つること 『淵鑑類函』四二九に〈『後周書』曰く、突厥《とっけつ》の先、匈奴の別種なり、隣国に破らるるところと為《な》る、その族に一小児あり、草沢中に棄....
李陵」より 著者:中島敦
・浚稽山《しゅんけいざん》の麓《ふもと》に至って軍はようやく止営した。すでに敵|匈奴《きょうど》の勢力圏に深く進み入っているのである。秋とはいっても北地のことと....
十二支考」より 著者:南方熊楠
大功あった。そのインド人が昨今ややもすれば英国を嫌い、英国の学者までもドイツ人を匈奴《きょうど》の裔《すえ》と罵《ののし》り、その身に特異の悪臭あり全く英人と別....
十二支考」より 著者:南方熊楠
域記』十二にクサタナ国(今のコーテン)王は毘沙門天の後胤《こういん》という。昔|匈奴《きょうど》この国に寇《こう》した時、王、金銀異色の大鼠を祭ると、敵兵の鞍か....
無人島に生きる十六人」より 著者:須川邦彦
す。今から二千年も前、漢の国に、蘇武という人があって、皇帝の使者として、北の方の匈奴という国へ行った。ところが匈奴では蘇武をつかまえてこうさんしてけらいになれと....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
幕について面白い記事が頼長の日記、仁平三年九月十四日条に見える。 故成佐諫曰、匈奴無道、不。 成佐は基衡を匈奴といっている。いかに東奥の夷狄とはいいながら、....
人身御供と人柱」より 著者:喜田貞吉
しも人間とのみは限らぬ。敵の要求する物品またこれを辞する事は出来ない。漢の天子が匈奴の襲撃から免れんが為に歳幣を約し、婦女を送ったというのはすなわちこれである。....
本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
して「蛮陬夷落」、「虜陣戎庭」などと称し、京都の公家衆は清衡の子基衡を呼ぶに、「匈奴」の称を以てし、その子秀衡を呼ぶに、「奥州の夷狄」の語を以てしております。俘....
三国志」より 著者:吉川英治
は打明けてやるが、帝王の問題は、今の漢帝を亡ぼしてから後の重大な評議になるんだ。匈奴(蒙古族)のほうとも相談しなければならないから」 「へえ? ……なぜです。ど....
三国志」より 著者:吉川英治
である。孔明はわざと冷静に、そしてさもいぶかしげな眉をして問い返した。 「むかし匈奴の勢いがさかんな頃、しばしば中国を侵略して、時の漢朝も悩まされていた時代があ....
三国志」より 著者:吉川英治
した。「西涼州(甘粛省・陝西奥地一帯)の太守|馬騰をお召しになり、彼の擁している匈奴の猛兵や、今日まで無傷に持たれている軍需資源をもって、玄徳を討たせるのです。....
三国志」より 著者:吉川英治
をもらすと、趙雲はそれに反対した。 「いけません、いけません。むかし秦の良臣は、匈奴の滅びざるうちは家を造らず、といいました。蜀外一歩出れば、まだ凶乱を嘯く徒、....
三国志」より 著者:吉川英治
の軍八千、虎賁の軍隊三十余万が、旌旗や旆旛を林立して、台下に立ちならび、このほか匈奴の黒童や化外の人々も、およそ位階あり王府に仕えるものは挙って、この祭典を仰ぐ....