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北国街道
「北国街道〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
北国街道の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「旧主人」より 著者:島崎藤村
夫《ひゃくしょう》が鍬《くわ》を休めて、私共を仰山らしく眺《なが》めるのでした。
北国街道は小諸へ入る広い一筋道。其処《そこ》まで来れば楽なものです。昔の宿場風の....
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
尾|政景に一万の兵を托して、春日山城を守らしめ、自分は一万三千の兵を率いて、一は
北国街道から大田切、小田切の嶮を越えて善光寺に出で、一は間道倉富峠から飯山に出た....
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
兵衛清秀(兵一千)、神明山には大鐘藤八(兵五百)、堂木山には山路将監(兵五百)、
北国街道には小川土佐守(兵一千)、而して木の本を本陣として羽柴秀長一万五干を以っ....
「千曲川のスケッチ」より 著者:島崎藤村
黄勝な、透明な、柿の若葉のかげを通るのも心地が好い。 小諸はこの傾斜に添うて、
北国街道の両側に細長く発達した町だ。本町、荒町は光岳寺を境にして左右に曲折した、....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
は毎日降り続き、峠は幾重にもかさなっていて、前後の日数も覚えないくらいにようやく
北国街道の今庄宿までたどり着いて見ると、町家は残らず土蔵へ目塗りがしてあり、人一....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
お差控え候補者の中の、いちばん年かさな侍の刀の鐺《こじり》です。 「すわ」 と、
北国街道がドヨめきました。 「何、何事だ」 刀の鐺をつかまえられた侍はもちろん....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
妙応寺の裏山を、ほとんど真一文字に岩倉の方へ抜けると、そこはやがて、れっきとした
北国街道が横たわっているし、ちょっと左へとれば大野木から、江州長浜方面へ一辷《ひ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
だ。そうするのが、彼の後生《ごしょう》の幾分でもあるし、第一、この罪も報いもない
北国街道筋の古い町の、何も知らない民衆が気の毒だ。
ナニ、人は斬られないが、犬....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
、このあわらというお湯は、今こそ地中に埋れてはいるが、ゆくゆくこれが世に出ると、
北国街道の要害でもあり、絹織物の名産地でもある福井の城下に近い形勝を占めたところ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
なんぞは、どうでもいいようなものですけれど……一茶の子孫の家ですか、それは柏原の
北国街道に沿うて少し下ったところの軒並の百姓家ですが、今も申し上げた通り、自分の....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ねておいで……」 心ききたる若者を一人わけて、道庵のために附け、そうして道庵を
北国街道に送り込み、お角さんは、そのまま残る手勢を引具《ひきぐ》して、銀杏《ぎん....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
やいのとことほぐかのようににおいます。 四十二 宇津木兵馬は
北国街道を下って、越前と近江の境を越えるまでは何事もなかったけれども、長浜へ来る....
「決戦川中島 上杉謙信の巻」より 著者:坂口安吾
、信玄の出陣をうながすためであった。 余は途中一万三千の兵力を二手に分け、一は
北国街道より、一は富倉峠より信濃に入り、善光寺に休憩。折から栗の季節であるから、....
「名人地獄」より 著者:国枝史郎
線の開通しないまえは、どうしてなかなか賑やかな駅路で、戸数五百遊女三百、中仙道と
北国街道との、その有名な分岐点として、あまねく世間に知れていた。 まず有名な遊....
「怪異黒姫おろし」より 著者:江見水蔭
がままに成りおれぇ」と、武道者の声は太く濁って、皹入りの竹法螺を吹くに似通った。
北国街道から西に入った黒姫山の裾野の中、雑木は時しもの新緑に、午過ぎの強烈な日の....