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北地
「北地〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
北地の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「みちのく」より 著者:岡本かの子
づく眺《なが》め入るのを見て、有志の一人は側《そば》に来て言った。 「それは、東
北地方では有名だった四郎馬鹿《しろうばか》の写真です」 「白痴《はくち》なのです....
「空襲葬送曲」より 著者:海野十三
の間にか、全く不明になってしまった。 其のあとについて、品川駅を通過してゆく東
北地方の出征軍隊の乗った列車は一々数えきれなかった。夜間ばかりでは運搬しきれない....
「雛妓」より 著者:岡本かの子
見上げて行く。 永遠に人目に触れずしてかつ降り、かつ消えてはまた降り積む、あの
北地の奥のしら雪のように、その白さには、その果敢なさの為めに却って弛めようもない....
「棺桶の花嫁」より 著者:海野十三
入ったところの店に売っていた。杜はお千と相談して、五銭の蝋燭を四本と、その外に東
北地方から来たらしい大きな提灯一個八銭とを買った。 「おお、生ビールがあるじゃな....
「河霧」より 著者:国木田独歩
同質である。 そこで彼は失敗やら成功やら、二十年の間に東京を中心としておもに東
北地方を舞台に色んな事をやって見たが、ついに失敗に終わったと言うよりもむしろ、も....
「瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
あるも、ただ農作を妨ぐるのみにして、米の収穫如何は貿易上に関係なしといえども、東
北地方は我国の養蚕地にして、もしもその地方が戦争のために荒らされて生糸の輸出断絶....
「晩春」より 著者:岡本かの子
立ち上って裏の堀の縁へ降りて行った。 材木堀が家を南横から東後へと取巻いて、東
北地方や樺太あたりから運ばれて来た木材をぎっしり浮べている。鈴子は、しゃがんで堀....
「犬神」より 著者:小酒井不木
私はその儘にして置いた。言葉つきから判断すると四国や九州のものではなく、むしろ東
北地方の生れであるらしかったが、私は彼女の素性を探偵して見る気にもならなかった。....
「穂高岳槍ヶ岳縦走記」より 著者:鵜殿正雄
けたのであると。 右手嶂壁の下には、数丁にわたる残雪、本年は焼岳の火山灰が、東
北地方に降下したから、穂槍及び常念山塊の残雪は、例年に比し、甚だ少ないとの事だ、....
「影」より 著者:岡本綺堂
るいて来ました。 重兵衛 どっちの方をあるいてお出でなすった。 旅人 初めは東
北地方へ出かけて、那須の方へ行きました。それから福島の飯坂へ行って、会津へ行って....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
要を感じまして、去る大正十三年以来、当仙台の大学へお手伝いに参り、年中の大部を東
北地方に暮らしまして、主としてこの方面の研究に没頭致しているのでございます。それ....
「オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
統の神と解してしかるべきものであるが、しかもその形体なり、行事なりにおいては、東
北地方特有のものとして、別に考究するところがなければならぬ。それについてまず第一....
「西航日録」より 著者:井上円了
迦、ソクラテス、カントの四聖を祭れるを知り、特にその賛を作りて余に贈る。 東西南
北地互為中、時各有宜、春夏秋冬軌道之行雖異、本源之証則同、先後聖之揆一、千万里之....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
四十四年七月、英京ロンドン客中にわかに思い立ち、北極海観光の一行に加わり、欧州最
北地点なるノルウェー・ノールカップにおける夜半の太陽を望見せんことを期し、パケッ....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
雪の春景色を見たいものだ。それには庄内方面よりもいっそう雪の深かりそうな羽後の仙
北地方がよかろう。かねて見たいと思っている後三年の役の遺蹟金沢柵址を、雪の中に見....