北条泰時[語句情報] » 北条泰時

「北条泰時〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

北条泰時の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
般若心経講義」より 著者:高神覚昇
、「らしゅうせよ」という言葉はほんとうに必要です。私はその昔、栂尾の明慧上人が、北条泰時に「あるべきようは」の七字を書き与えて、天下の政権を握るものの警策とせよ....
武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
言わるることを覚り、時としてみずからこれを口にすることあり。『貞永式目』に関して北条泰時より六波羅探題に遣わせる「消息」に、 所詮従者は主に忠を致し、子は親に....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
皇子がおいでにならぬので、九条道家は順徳上皇の皇子をお立てしようとした。ところが北条泰時の反対でそれが実現せず、土御門上皇の皇子が即位せられた。これが後嵯峨天皇....
私本太平記」より 著者:吉川英治
世にあったことを知っている。 よく民になつかれて、民治と仁政に心した三代の名主北条泰時、武門のつつしみを知って、宗教や学問を振わせた五代の最明寺時頼、また、元....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、あぶないぞ」 「いいえ、御所さま!」 また一人がさけんだ。 「この東勝寺は、北条泰時さま御草創の、御菩提所とうかがっておりまする」 「さよう。この高時には父....
随筆 新平家」より 著者:吉川英治
、古典がすでに創意と史料との継色紙である。宇治川先陣争いも、ずっと後の承久年間、北条泰時が宇治攻めのときにあった話で、義経の上洛のさいの事ではないと、学説をなす....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
と、武士のことを「夷」と云っております。鎌倉武士の事を「東夷」と云っております。北条泰時が貞永式目という法律を作りました時に、「かように沙汰候を、京辺には定めて....
融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
が、罪を犯して公民権を削られましたので、それを非人逸勢といいました。また源頼朝や北条泰時の帰依の厚かった一代の高僧たる、栂尾の明恵上人の如きすら、自ら「非人高弁....