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北浜
「北浜〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
北浜の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「土曜夫人」より 著者:織田作之助
卑屈な態度は少しもなかった。美貌だが、自分から女を口説こうとしなかった。 彼は
北浜の株屋の店員だった頃から、貴子のバーの常連だった。ある時、女給が、 「くにの....
「夫婦善哉」より 著者:織田作之助
知っていたおきんは、柳吉に意見めいた口を利いた。おきんの亭主《ていしゅ》はかつて
北浜《きたはま》で羽振りが良くおきんを落籍《ひか》して死んだ女房の後釜に据《す》....
「青春の逆説」より 著者:織田作之助
参ノコト東洋新報」 そんな三行広告が新聞に出ている朝、豹一が定刻より一時間早く
北浜三丁目の東洋新報の赤い煉瓦づくりのビルへ行ってみると、もうまるで何ごとか異変....
「世相」より 著者:織田作之助
丁へ天辰の提灯を出した。四年の間に万とつく金が出来て、三十五歳で妻帯した。細君は
北浜の相場師の娘だったが、家が破産して女専を二年で退学し、芸者に出なければならぬ....
「わが町」より 著者:織田作之助
の久枝に縁談があったとき、矢張り義枝をさし置いてということが邪魔した。 久枝は
北浜の銀行へ勤めに出て、太鼓の帯に帯〆めをきりりとしめ、赤い着物に赤い鼻緒の下駄....
「凧の話」より 著者:淡島寒月
、同じく千五百枚を張るのであるという。その他、大代の「菊一」というのが千四百枚、
北浜の「笹」というのが千枚、吉永の「釘抜」が九百枚、木津新町の「菊巴」が九百枚の....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
間が、見る見る人をもって埋まってゆく。
相馬《そうま》は、武骨をもって聞こえる
北浜《ほくひん》の巨藩である。
しかも藩主大膳亮が刀剣を狂愛するくらいだから、....
「アド・バルーン」より 著者:織田作之助
た。公園の中へはいり、川の岸に腰を下して煙草を吸いました。川の向う正面はちょうど
北浜三丁目と二丁目の中ほどのあたりの、中華料理屋の裏側に当っていて、明けはなした....
「少年連盟」より 著者:佐藤紅緑
くらは、探征の第一夜をぶなの林で明かした。あと十五キロメートルばかりで、目的地の
北浜に達するのだ。あすの希望をひめて一同早く寝につく。 ....
「宝塚生い立ちの記」より 著者:小林一三
として、例年開催するの運びとなり、第一回は大正三年十二月十一日より三日間、それは
北浜の帝国座で催された。 この大毎慈善歌劇会は、誕生後間もない宝塚少女歌劇を広....
「夜光虫」より 著者:織田作之助
がら、阪急の方へ歩いて行って、やっと今里行の市電に乗った。 市電は混んでいた。
北浜二丁目で十人ばかり降りたので、小沢はいくらか空いている出口の方へ詰めて行こう....
「空中征服」より 著者:賀川豊彦
治療に取りかかりたいと思います。その次は失業者の救済に、その次はスラムの破壊に、
北浜の廓正に、都市計画に、新道徳の建設に、私は次から次へと諸君に対する抱負を披瀝....
「福沢諭吉」より 著者:高山毅
生の塾にはいることになりました。 塾は「適塾」といい、船場の過書町(いまの東区
北浜三|丁目)にありました。緒方先生はすぐれた町医者で、オランダ語とオランダ医学....
「食べたり君よ」より 著者:古川緑波
タクを拾って乗る。 谷崎先生は、円タクを途中で止めて、「一寸待ってて呉れ」と、
北浜の、サムボアという酒場へ寄り、「赤い葡萄酒一本」と命じて、やがて葡萄酒の壜を....
「婚期はずれ」より 著者:織田作之助
ら二十の久枝に談があったとき、矢張り義枝を差し置いてということが邪魔した。久枝は
北浜の銀行へ勤めに出て、太鼓の帯に帯じめをきりりとしめ、赤い着物に赤い下駄で姉た....