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北狄
「北狄〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
北狄の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「俊寛」より 著者:芥川竜之介
るいはまた一千年か、とにかくその好みの変る時には、この島の土人の女どころか、南蛮
北狄《なんばんほくてき》の女のように、凄《すさ》まじい顔がはやるかも知れぬ。」
....
「神社合祀に関する意見」より 著者:南方熊楠
を将《ひき》い河上に臨み北向して『孝経』を読まば賊必ず自滅すべし、と言えり。また
北狄《ほくてき》が漢地を犯せし時、太守宋梟、涼州学術少なし、故にしばしば反す、急....
「茶の本」より 著者:岡倉覚三
てシナ本国から起こった明朝は内紛のために悩まされ、次いで十八世紀、シナはふたたび
北狄満州人の支配するところとなった。風俗習慣は変じて昔日の面影もなくなった。粉茶....
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
である。一触してタイタニックを沈めた氷山である。華麗な羅馬の文明を鉄蹄に蹂躙した
北狄蛮人である。一切の作為文明は、彼等の前に灰の如く消えて了う。
土を穿ち、土....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
馬《ワイルド・ポニー》の連中だろう。この『史記』の文を見ると、驢は支那よりもまず
北狄《ほくてき》間に最《いと》古く入ったので、かかる寒地によく繁殖したは、その時....
「日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
殆んど凡ての祖国信念につきものだ。祖国愛が祖国文化への愛となったり(東夷西戎南蛮
北狄や外来思想や外国文明の観念の類)、夫が祖国の使命となったりする時(世界文化の....
「大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
と同じ怪奇の扮装で、長刀佩いてヌタクリ出で、さて大見得を切った後、 「東夷南蛮|
北狄西戎西夷八荒天地|乾坤のその間にあるべき人の知らざらんや、三千余里も遠からぬ....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
はいって揚幕から花道にゆるぎ出た時、さらに花道の七三に坐って、例の“東夷西戎南蛮
北狄”の長台詞を朗々たる名調子で淀みなくつらねた時、わたしは満場の観客と共に、た....
「申訳」より 著者:永井荷風
売り蔵書を市に鬻《ひさ》いで、路頭に彷徨する身となるかも知れない。僕は仏蘭西人が
北狄《ほくてき》の侵略に遭い国を挙げてマルンの水とウェルダンの山とを固守した時と....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
二日なく、地に二王なしとの信条の下に、諸外国はことごとくこれを東夷・西戎・南蛮・
北狄などと称し、天子はすなわち天命によりて、あまねく天下を統治すべきものとして、....
「三国志」より 著者:吉川英治
は、二人の策に乗ってしまった。堅城|壺関も、その夜ついに陥落し、高幹は命からがら
北狄の境をこえて、胡の左賢王を頼って行ったが、途中家来の者に刺し殺されてしまった....
「三国志」より 著者:吉川英治
まわった。 いや、暴れただけなら、何も戦闘力を失うほどでもなかったろうが、根が
北狄の夷兵であるから、 「良い馬だ。もったいない」と、奪いあい、牛を見ては、なお....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
イヌ種の蝦夷人をでも、奥州を東とし、越後・出羽を北といったがために、シナの東夷・
北狄の語を取って、越後・出羽方面の蝦夷をしばしば蝦狄あるいは狄俘といったのであっ....