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北面
「北面〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
北面の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
が、七年前は坂部庄司蔵人行綱《さかべのしょうじくらんどゆきつな》と呼ばれて、院の
北面《ほくめん》を仕《つこ》うまつる武士であった。ある日のゆうぐれ、清涼殿のきざ....
「天主閣の音」より 著者:国枝史郎
主になる。が決して経は読まぬ。眠剤ばかり喫んでやる」 この時香具師はソロソロと
北面の狭間へ寄って行った。音を盗んだ擦足であった。閉ざされた狭間戸へ手を掛けた。....
「運命」より 著者:幸田露伴
に天下を有したり、今事を挙げてより連に勝を得たるに、小挫して輙ち帰らば、更に能く
北面して人に事えんや。諸君雄豪誠実、豈退心あるべけんや、と云いければ、諸将|相見....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ら、あの堂守の尼が、妙に上ずった肉声をあげて、こんなことを聞かせたぞ―― 昔、
北面の武士に兵部重清《ひょうぶしげきよ》というがあって、それが正安二年の春、後伏....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
の覚むれば桃の日落ちたり 奈良坂や桜に憩ふ油売 さくら折つて墓打ちたゝく狂女かな
北面に歌召されけり梨の花 足伸べて菜の花なぶる野茶屋哉 菜の花の行きどまりなり法....
「梟雄」より 著者:坂口安吾
京の西の岡というところに、松波基宗という
北面の武士が住んでいた。乱世のことであるから官給は至って不充分で、泥棒でもしなけ....
「徒然草の鑑賞」より 著者:寺田寅彦
れであるが、これらにも多少の俳諧がある。 子供の時から僧になった人とちがって、
北面武士から出発し、数奇の実生活を経て後に頭を丸めた坊主らしいところが到る処に現....
「五右衛門と新左」より 著者:国枝史郎
で、猪首の皺だらけの醜男であった。 新左衛門は町人出、これに反して五右衛門は、
北面の武士の後胤であった。 一人は陽気なお伽衆、然るに、一方は陰険な細作係とい....
「画室談義」より 著者:上村松園
南向きの二階建てで、東、西、南の三方は明り障子とガラス障子の二枚が嵌まっていて、
北面だけが壁で仕切られています。畳数は十四あります。 明り障子とガラス障子の二....
「皇海山紀行」より 著者:木暮理太郎
からの道はこの鞍部へ上って、更に東方へ延びている。この道をたどって行けば皇海山の
北面にそそり立つ懸崖の下に出られそうであったが、時間が惜しいので自分らは行って見....
「東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
。雪山はご承知のように、富士山のような一つの山ではないので、屏風の如くにインドの
北面に東から西に走っている山脈で、それが世界第一の高山である。たといそれが第二と....
「周防石城山神籠石探検記」より 著者:喜田貞吉
式内に列せられた石城神社があり、別当神護寺がその西南に並び、所謂山姥ノ穴は、山の
北面に二つ、南面に一つ、東面に一つを記載してあるのである。すでに延喜式に社名を石....
「法然行伝」より 著者:中里介山
高声が時々交じる。まさしく臨終であると見えたとき、慈覚大師の九条の袈裟を架け、頭
北面西にして、 「光明遍照《こうみょうへんじょう》。十方世界《じっぽうせかい》。....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
が雅経も定家の門人であった。清範・家長は院の近臣で、秀能は歌熱心で御寵愛になった
北面の武士だから、これらは院の御手もとの者たちといえるが、このように数は多くない....
「フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
のだ。正方形の台座に据えられた鼠いろのその標石は高さは二尺にも満たないであろう。
北面に鷲、南面に菊の御紋章が浮彫りにしてあった。私は露西亜領の虎杖の草叢にもはい....