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「十七〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

十七の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
河童」より 著者:芥川竜之介
臨時調査会を開催せり。列席せる会員は下《しも》のごとし。(氏名を略す。) 我ら十七名の会員は心霊協会会長ペック氏とともに九月十七日午前十時三十分、我らのもっと....
或敵打の話」より 著者:芥川竜之介
、粗忽《そこつ》にもこの老人を甚太夫と誤って殺したのであった。 平太郎には当時十七歳の、求馬《もとめ》と云う嫡子《ちゃくし》があった。求馬は早速|公《おおやけ....
片恋」より 著者:芥川竜之介
乗っていた電車は、この時、薄暮《はくぼ》の新橋停車場へ着いた。) (大正六年九月十七日)....
奇怪な再会」より 著者:芥川竜之介
じゃないか?――『森になったんだねえ。とうとう東京も森になったんだねえ。』………十七 「それだけならばまだ好《よ》いが、――」 Kはさらに話し続けた。 「そ....
お時儀」より 著者:芥川竜之介
。午前もお嬢さんの乗る汽車は保吉には縁のない上り列車である。 お嬢さんは十六か十七であろう。いつも銀鼠《ぎんねずみ》の洋服に銀鼠の帽子をかぶっている。背《せ》....
温泉だより」より 著者:芥川竜之介
る優男《やさおとこ》かと思うかも知れません。しかし身の丈《たけ》六尺五寸、体重三十七貫と言うのですから、太刀山《たちやま》にも負けない大男だったのです。いや、恐....
或日の大石内蔵助」より 著者:芥川竜之介
は行く処へ行きついた。 もし、まだ片のつかないものがあるとすれば、それは一党四十七人に対する、公儀《こうぎ》の御沙汰《ごさた》だけである。が、その御沙汰がある....
飯田蛇笏」より 著者:芥川竜之介
或木曜日の晩、漱石先生の処へ遊びに行っていたら、何かの拍子に赤木桁平が頻に蛇笏を褒めはじめた。当時の僕は十七字などを並べたことのない人間だった。勿論蛇笏の名も知らなかった。が、そう云う....
彼の長所十八」より 著者:芥川竜之介
。 十五、皮肉や揚足取りを云わぬ事。 十六、手紙原稿すべて字のわかり好き事。十七、陸海軍の術語に明き事。少年時代軍人になる志望ありし由。 十八、正直なる事....
狂女」より 著者:秋田滋
る。やがて、頭立った将校があつまって、部下の将兵を民家に割りあてた。僕のうちには十七人、隣りの狂女のところには十二人来ることになったが、その十二人のうちには少佐....
」より 著者:秋田滋
一八八三年七月十七日、草木もねむる真夜なかの二時半のことである。ベジエ墓地のはずれに建っている....
良夜」より 著者:饗庭篁村
屈して一年程は独学したれど、はしる馬の如き出京の志し弱き手綱に繋ぐべきにあらず。十七の春なりし。心を決して父と伯父に乞いもし許されずは出奔せん覚悟を様子にそれと....
ファラデーの伝」より 著者:愛知敬一
いろいろな人に実験して見せた。ブルデット・クート男爵夫人に出した手紙には、 五月十七日、金曜日、 拝啓明日四時にマックス・ミュラー氏の講演すみし後、サー・ヘン....
寡婦」より 著者:秋田滋
を連れて、ペルティヨンの領地にあった私の父の家へ来て暮しておりました。私はその頃十七でした。 この少年サンテーズが、どんなに驚くべき早熟の子であったか、到底そ....
狂人日記」より 著者:秋田滋
罪であると断定した。町の人びとはみな、判事の決定を正しいとした。ああ。 十月二十七日―― 甥は供述の仕方が下手だった。彼は、犯罪が行われた時には、パンとチー....