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「十津川〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

十津川の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
月の第二回(新富座)には「阿新丸」二幕を書いた。同年十月の第三回(東京座)には「十津川戦記」三幕を書いた。同時に紫紅君の「甕破柴田」一幕を上場した。勿論、これら....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
枚岡《ひらおか》、大沢の三人――中山卿は長州で亡《な》くなられたそうじゃ。大和の十津川から浪華《なにわ》を経て、長州へおいでになったが、そこで亡くなられたという....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
の方、ここへ来て、地図をごらんなされ、那須氏には、ようこの道を御存じのはずじゃ、十津川《とつがわ》入《い》りには、いずれの道をとったがよいか」 「左様、十津川入....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
りにし、その二十八日は、いよいよ総勢五百余人で同国高取の城を攻めた日。その翌日、十津川《とつがわ》へ退いて、都合《つごう》二千余人で立籠《たてこも》った時の勢い....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
であったので、竜之助はその簪を持って京都まで上って行ったはずであります。京都から十津川《とつがわ》までの竜之助はあの通りの竜之助で、饅頭《まんじゅう》の代りに帯....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ゆっくり話そう」 「それよりも、その眼をどうしたのか、それを聞きたい」 「これは十津川《とつがわ》でやられた。京都から引返して来るときに、伊賀の上野で天誅組の壮....
大切な雰囲気」より 著者:小出楢重
見おろした。嵐の瀞の光景は白い波と泥だらけの八丁だった。 中学時代に、私はこの十津川の九里峡を艪による船で下ったことがあった。それは晴れた八月だった。途中で夕....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
気で寝刃を合せています。蒼白い面《かお》の色、例の切れの長い眼の縁《ふち》には、十津川で受けた煙硝のあとがこころもち残っているけれども、伏目《ふしめ》になってい....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
」 「ふとした行違いでしたよ」 「どちらでしたか、その軍《いくさ》は」 「大和の十津川です」 と竜之助が言ったので、お雪ちゃんがヒヤリとしました。 それは話の....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
、あの先生、島原であんな物狂いを起してから、トンと行方不明、人の噂《うわさ》では十津川筋で戦死したとも言われていたが、それではまだ生きていたのかな」 「たしかに....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
きました。その時のことを、竜之助はよく見て知っていたものです。知ってそのままに、十津川の旗上げに加わりました。 今や、その男の執念がここにめぐって来たものと見....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
卿《くげ》さんの中にも豪《えら》い気象の人がいると、舌を捲いたのかも知れません。十津川《とつがわ》の時の中山卿、朔平門外《さくへいもんがい》で暗殺された姉小路卿....
わが童心」より 著者:佐藤垢石
飾る莢碗豆、春蒔白菜、亀戸大根などの鮮漿に舌鼓をうち申し、殊に時たま珍肴として、十津川と北山川と合流して熊野川となるあたりの渓谷に釣り糸を垂れ、獲たる山女魚やは....
」より 著者:佐藤垢石
気品に現われてくるのであるかも知れぬ。 私は旅先を急ぐ釣友と別れ、旅館の都合で十津川と北山川と合流して熊野川となる川相から一里下流の、日足へ足をとどめたのであ....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
という語は、相手を軽侮するような場合に用いられることとなった。今も大和吉野の山間十津川郷では、人を罵るに、「何だこの法師が」などというそうである。かく法師という....