千代田城[語句情報] » 千代田城

「千代田城〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

千代田城の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
筋を寺島村から水戸家のお下屋敷まで下って、狩り納めのご酒宴があってから、めでたく千代田城へご帰館というのがその道順でした。 おなりの順序が決まると、第一に忙し....
天主閣の音」より 著者:国枝史郎
に課し、金に糸目をつけさせずに、築城させたものであって、規模の宏壮要害の完備は、千代田城に次いで名高かった。 金鯱で有名な天主閣は、加藤清正が自分が請うて、独....
旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
釈のこして溝口豊後守も騎乗。カバ、カバ、こころよい蹄の音ひびかせて将軍家の一行は千代田城の奥へ、――見送る中から、くくと男の泣声がわきました。 十五郎です。 ....
丹下左膳」より 著者:林不忘
、愚楽様にお目にかかるのじゃ」 十 それから一刻《いっとき》、二時間ののちに。千代田城の一室で、膝を突きあわせんばかりに対座しているのは愚楽老人と、柳生藩の江....
煩悩秘文書」より 著者:林不忘
そかに訪れんがためではござりませぬ。」 今年で、ちょうど七年まえのことである。千代田城菊の間出仕、祖父江出羽守《そふえでわのかみ》の狩猟地《かりち》だった田万....
丹下左膳」より 著者:林不忘
でわれわれは助かった。柳生様々じゃ」 いろんな声にとりまかれながら、色蒼ざめて千代田城を退出した田丸主水正、駕籠の揺れも重くやがてたちかえったのは、そのころ、....
雑記(Ⅰ)」より 著者:寺田寅彦
を意味するシンボルのような気がした。御堀端にかかった時に、桃色の曙光に染められた千代田城の櫓の白壁を見てもそんな気がした。 日比谷で下りて公園の入り口を見やっ....
銅銭会事変」より 著者:国枝史郎
いつがわからないなあ」 弓之助には不思議であった。 「もしかすると将軍家には、千代田城内のどの部屋かに、隠されているのではあるまいかな? お城には部屋が沢山あ....
大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
とが見て取られた。 そうして彼らの真中に一葉の図面が置かれてあったが、他ならぬ千代田城の図面であった。 「これは浪士だ! 浪士の密会だ!」早くも察した小堀義哉....
柳営秘録かつえ蔵」より 著者:国枝史郎
苑に咲き、松虫が籠の中で歌う季節、七夕月のある日のこと、葵紋付の女駕籠で、お杉は千代田城へ迎えられた。お杉の局と命名され、寵を一身に集めることになった。もうこう....
名人地獄」より 著者:国枝史郎
えなあ」こう次郎吉は呟いたが、そのまま鼓を膝へ置くと、眉をひそめて考えこんだ。「千代田城の大奥へ、一儲けしようと忍び込み、この鼓を調べたとき、ちょうどこんなよう....
魔像」より 著者:林不忘
る。この大目附は、殿中ではもっともむずかしい役の一つとなっていたもので、何しろ、千代田城は将軍家の邸宅とは言え、現在《いま》で言えば、役所をも兼ねているところだ....
つづれ烏羽玉」より 著者:林不忘
培されていた。玄鶯院が呼んで「嗜人草《しじんそう》」といっているのがそれである。千代田城の伺候を辞してから、蘭医玄鶯院はしばらく曽遊《そゆう》の地長崎に再び自適....
わが童心」より 著者:佐藤垢石
い。 いつぞや、木村君はこう私に述懐したことがあった。 木村君としてみれば、千代田城の遠霞、水郷である本所あたりの下町情調は、臍の緒切ってからの環境であろう....
増上寺物語」より 著者:佐藤垢石
とを後世に残したこの増上寺を、徳川家の菩提所として定めたのは家康であった。家康が千代田城を政権の府とした頃、半蔵門の近くに観智国師という高僧が庵を結んでいた。家....