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千島
「千島〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
千島の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「梓川の上流」より 著者:小島烏水
へ行くと、白馬岳が聳《そび》えている、雪の室は花の色の鮮やかな高山植物を秘めて、
千島|桔梗《ききょう》、
千島|甘菜《あまか》、得撫草《うるっぷそう》、色丹草《し....
「突貫紀行」より 著者:幸田露伴
しゃく》としてほとんと伏波将軍《ふくはしょうぐん》の気概《きがい》あり、これより
千島《ちしま》に行かんとなり。 五日、いったん湯の川に帰り、引かえしてまた函館....
「灯台鬼」より 著者:大阪圭吉
半浬ほども突き出した岩鼻で、その沖合には悪性の暗礁が多く、三陸沿海を南下してくる
千島寒流が、この岬の北方数浬の地点で北上する暖流の一支脈と正面衝突をし、猛悪な底....
「動かぬ鯨群」より 著者:大阪圭吉
、夥しい海豚の群に啄まれながら浮流されて行く仔鯨の屍体を、うっかり発見けたりする
千島帰りの漁船があった。丸辰流に言えば、その鯨の祟りを受けて、北海丸は沈没した。....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
った。 先生は一年の時の倫理と英語を受持った。倫理には、長い間続けて郡司大尉の
千島行の話を聞かされた。先生の英語は、声が綺麗で、今までの小学校や私塾の英語の先....
「空襲下の日本」より 著者:海野十三
」 女は又訊いた。 「アラスカからも行くとも。飛行場はウンと作ってあるからね。
千島群島から、北海道を経て、本州へ攻めてゆくのだが、ブロムリー中尉、ハーンドーン....
「紅毛傾城」より 著者:小栗虫太郎
序 ベーリング黄金郷の所在を知ること ならびに
千島ラショワ島の海賊|砦のこと 四月このかた、薬餌から離れられず、そうでなくて....
「層雲峡より大雪山へ」より 著者:大町桂月
偃松の余したる処、一面の御花畑也。苔桃、巌香蘭、岩梅、ちんぐるま草、栂桜、岩髭、
千島竜胆など生いて、池中の巌石にも及べり。偃松の中は、数百千年の落葉つもりつもり....
「「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
の名がある。古志はすなわち越で、古えの越人の名の保存せられたもの。越人は近くまで
千島アイヌがクシと呼ばれたと同じく、アイヌ族に対する一つの名称であった。その伝説....
「くぐつ名義考」より 著者:喜田貞吉
邦人の最初に接した谷の者は、実に本邦原始住民たる蝦夷の族であった。カイの名は今も
千島アイヌの称として存し、一方にはクシの神(少彦名命)或いはコシ(越人)の名によ....
「国栖の名義」より 著者:喜田貞吉
久須という名義については、北陸方面の蝦夷を高志人と云い、樺太アイヌを苦夷と云い、
千島アイヌを「クシ」というと同語で、蝦夷の事であろうという説がある。自分はクシ・....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
となると云う説話なのである。しかるに地理上の知識が進んで、奥州の東にさらに蝦夷が
千島の存在が知らるるに及んで、所謂日の本の名がそこに移り、木乃伊採りの話までもこ....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
蝦夷人種に係る。今は則ち平民と異なるなし、夫れ夷も亦人のみ。教へて之を化すれば、
千島唐太亦以て五村たるべきなり。而も奸商の夷人を待つや、蓋し人禽の間を以てすとい....
「浅沼稲次郎の三つの代表的演説」より 著者:浅沼稲次郎
に領有いたしました領土は、それぞれその国に帰すことはやむを得ぬとするも、南樺太、
千島の領土権を失い、歯舞、色丹島は、北海道の行政区にあるにもかかわらず、ソビエト....
「黒部川奥の山旅」より 著者:木暮理太郎
の花梗を抽き出し、五弁の小花を咲き連ねた風情は、五色ヶ原の濃紅な白山小桜や濃紫の
千島桔梗の大群落に比して、華かさに於てとても較べものにはならないが、またなく可憐....