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南宋
「南宋〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
南宋の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「十二支考」より 著者:南方熊楠
蔵が女に化けて旅人に斬られた話は、石橋臥波氏輯『民俗』第三報へ拙考を出し置いた。
南宋の淳煕三年金国へ往った大使の紀行『北轅録』にも〈趙州に至る、道光武廟を経て二....
「茶の本」より 著者:岡倉覚三
れ、その一か所京都に近い宇治は、今なお世にもまれなる名茶産地の名をとどめている。
南宋の禅は驚くべき迅速をもって伝播し、これとともに宋の茶の儀式および茶の理想も広....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
時の旧蔵本である。米沢の城主|上杉弾正大弼斉憲がこれを幕府に献じた。細に検すれば
南宋『乾道淳煕』中の補刻数葉が交っているが、大体は北宋の旧面目を存している。多紀....
「油絵新技法」より 著者:小出楢重
であらねばならなくなってしまったのである。 それは、書の精神にも、あるいはまた
南宋画の精神とも共通する処のものである。
南宋画が北画に対して起った原因と丁度近代....
「科学論」より 著者:戸坂潤
のとしては、アクセリロート・オルトドクス女史『ブルジョア社会学の批判』(永田訳・
南宋書院発行)や、A Lewis, An Introduction to Soc....
「文学的自叙伝」より 著者:林芙美子
ものでした。 私は女友達の松下文子と云う方から五拾円貰って、牛込《うしごめ》の
南宋書院の主人の好意で『蒼馬を見たり』と云う詩集を出しました。松下文子と云う人は....
「瘠我慢の説」より 著者:福沢諭吉
。すなわち国家|風教《ふうきょう》の貴《たっと》き所以《ゆえん》にして、たとえば
南宋の時に廟議《びょうぎ》、主戦《しゅせん》と講和《こうわ》と二派に分れ、主戦論....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
多分、あの頃からであったろう。彼がふたたび画に眼をひらき出したのは。 北宋、
南宋の稀品。また、東山|殿あたりからの名匠の邦画。それから現代画として行われてい....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
加賀田川というのか、まもなく渓流の音が耳を打って来た。短いが、蔦葛の桟橋がある。
南宋画などによくある隠者の門といった風な山荘の灯を見たのは、そこを渡って幾らも歩....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
いま遺っている彼の作品を見て、その画風を一括的にいえば、足利初期以来、北宋末から
南宋の影響によって、たちまち、わが日本画界に一つの風をなして来た、あの東洋画独味....
「失うた帳面を記憶力で書き復した人」より 著者:南方熊楠
た証がその巻四にある。林誌もたぶんそのころの人であろう。 これより約四百年前、
南宋の費袞が書いた『梁谿漫志』は、予かつて見ないが、『燕居雑話』に引かれある。い....