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「南山〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

南山の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
れて、その言葉に従うことになった。約束の通りに少女をあたえると、犬は彼女を伴って南山にのぼった。山は草木おい茂って、人の行くべき所ではなかった。少女は今までの衣....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
。都の人びとも四方へ散乱した。梨園の弟子のうちに笛師があって、これも都を落ちて終南山の奥に隠れていた。 そこに古寺があったので、彼はそこに身を忍ばせていると、....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
ある)を勤めている蔡良棟が話した。 この地方が初めて平定した時、四方を巡回して南山の深いところへ分け入ると、日もようやく暮れかかって来た。見ると、渓を隔てた向....
四条畷の戦」より 著者:菊池寛
が躍如としている。 正行の活動 延元四年の秋、後醍醐天皇は吉野の南山|行宮に崩御せられた。北畠親房は常陸関城にあって此の悲報を聞き、「八月の十日....
骨董」より 著者:幸田露伴
名士であった楊文襄、文太史、祝京兆、唐解元、李西涯等と朋友で、七峯のいたところの南山で、正徳十五年七峯が蘭亭の古のように修禊の会をした時は、唐六如が図をつくり、....
狂乱」より 著者:近松秋江
一人、子ひとりの私の身になったら、あんたはん、泣くに泣かりゃしまへんがな。それで南山城の旧い親類に頼んで、証文書いて、それだけの金を今度貸してもろうたのどす」母....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
《あこ》が嶋《しま》をば蒲生源左衛門、大槻を蒲生忠右衛門、猪苗代を蒲生四郎兵衛、南山を小倉孫作、伊南《いなみ》を蒲生左文、塩川を蒲生喜内、津川を北川平左衛門に与....
ああ玉杯に花うけて」より 著者:佐藤紅緑
物がある。そのために私も村の人も毎日毎日心配している」 「三害とは何ですか」 「南山に白額のとらが出でて村の人をくらう、長橋の下に赤竜がでて村の人をくらう、いま....
松の操美人の生埋」より 著者:三遊亭円朝
したろうか」 男「お屋敷か、あゝ此の間|兼吉が往ったっけのう、お直、それ竹ヶ崎の南山でなア」 女房「此方へおかけなさい、おや小兼さんかえ」 兼「まアどうも不思議....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
。 大体右の如く解したが、此歌は実は難解で種々の説がある。「北山に」は原文「向南山」である。南の方から北方にある山科の御陵の山を望んで「向南山」と云ったもので....
村芝居」より 著者:井上紅梅
が、わたしに取っては極楽世界であった。ここへ来れば優待されるのみか「秩秩斯干幽幽南山」などというものを唸らなくともいいからである。 わたしと一緒に遊ぶいろいろ....
鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
まらぬものなれども、一冊拝呈仕候。此戦役の前半、即ち第二軍に於ける兵站衛生作業、南山役、得利寺役(大石橋、蓋平小戦)、遼陽戦なれども、此分を記すと云ひし軍医先年....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
雪の斑文をなすを見るのみ。極北の山にしてなおかくのごとし。堆石巌々たるは、ひとり南山に限るにあらず、これより北進するに従い、雪色天にみなぎるを見る。海岸にそいた....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
家の撰んだ勅撰集の調子にはずれない平明の調である。 註 吉野朝のことに関しては『南山巡狩録』『南山皇胤譜』の如きもの、近くは八代国治博士『長慶天皇御在位の研究』....
本所両国」より 著者:芥川竜之介
ろう。もっともそれは僕の知人なども出征していたためもあるかも知れない。この知人は南山の戦いに鉄条網にかかって戦死してしまった。鉄条網という言葉は今日では誰も知ら....