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「南支〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

南支の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
十二支考」より 著者:南方熊楠
くと言ったが、明の李時珍これを妄とし李耳は狸児《りじ》を訛《なま》ったので、今も南支那人虎を呼んで猫と為すと言った。狸は日本で専《もっぱ》ら「たぬき」と訓《よ》....
台湾の姿態」より 著者:豊島与志雄
人の田舎町にも、目貫の大通りが穿たれ、規格通りの商店建築が並んでおり、全く独特な南支那風都市として名高かった鹿港の如きも、すっかり近代風に変容してしまっている。....
レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
コリントを結合した驚くべき都であるが、これを上に述べきたった見地から見る時には、南支那の一農夫をして肩を聳《そび》やかさせるであろう。 パリーを模倣するは、自....
淪落の青春」より 著者:坂口安吾
ったく変っていた。彼の兵隊生活は捕虜時代も数えて八年にわたり、ソ満国境から北支、南支、仏印、フィリッピン、ビルマ、戦争らしい戦争はビルマだけ、こゝではひどい敗戦....
沙漠の古都」より 著者:国枝史郎
の屍を葬ってからの私達兄妹の生活は昔の栄華に引き代えて世にも貧しいものであった。南支那切っての貿易商、南支那切っての名門の家――その家の形見の私達兄妹は世間の人....
老狸伝」より 著者:佐藤垢石
とがある。そのとき撃ち取った羆を友人数名と共に、小石川富坂の富士菜館へ持ち込み、南支の広州からきた料理人の手にかけて、十数種類の支那料理にこしらえ、さまざまに試....
採峰徘菌愚」より 著者:佐藤垢石
一 篠秋痘鳴と山田論愚の二人が南支方向へ行くことになった。そこで私は、伊東斜酣と石毛大妖の二人を集めて、何か送....
鯛釣り素人咄」より 著者:佐藤垢石
漁獲がある。支那海にも広く棲んでいて、朝鮮西海岸、釜山沖、九州の玄海灘、中支から南支、海南島から佛領印度支那方面にまで分布していて、支那海一帯はトロール船の活躍....
たぬき汁」より 著者:佐藤垢石
チカチ山の噺をきいてからというもの、狸汁について深い興味を持ちはじめたのである。南支の広州に、三蛇会料理というのがある。これは蝮、はぶ、こぶらの三毒蛇を生きなが....
姫柚子の讃」より 著者:佐藤垢石
、阿波の国の友人の身の上を思って、なつかしさが一入であった。友はいま、故郷を離れ南支へ赴いて働いている。そのために、ここ一両年は姫柚子に接しなかったのである。久....
赤げっと 支那あちこち」より 著者:国枝史郎
に行きませんか」と進められたので、よかろう、この一団と行を共にし、北支を見る前に南支を見て置こうと同行することにしたのさ。 日本の多島海――日本の地中海とも云....
随筆 寄席風俗」より 著者:正岡容
らは志ん生君の「氏子中」のレコードがせわしなく聞こえてきている。この間、馬楽君と南支へ皇軍慰問に行っていた橘の百圓君夫妻とその坊やの来訪なのだった。来年、橘家圓....
日和下駄」より 著者:永井荷風
しく漂《ただよ》うからである。私は何となくこういう風に打捨てられた荒地をばかつて南支那|辺《へん》にある植民地の市街の裏手、または米国西海岸の新開地の街なぞで幾....
本朝変態葬礼史」より 著者:中山太郎
るものが、内地の遺風か支那の影響か、それとも同島の固有のものか判然せぬが、恐らく南支那から輸入したものと思われる。そして洗骨に関しては石垣島測候所長の岩崎卓爾氏....
挙国一致体制と国民生活」より 著者:戸坂潤
の力となった挙国一致という体制を造り出したと同時に、支那在留の邦人(冀東・冀察・南支一帯)の国民生活の安定を著しく動揺せしめたことは、歴史に記録すべき現象だが、....