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「南禅寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

南禅寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
猿飛佐助」より 著者:織田作之助
若などの子分がいたが、これらの子分共は千鳥の香炉盗み取りの陰謀の談合のため、折柄南禅寺の山門へ寄っていたので、頭目の石川五右衛門の哀れな試合の一部始終を、見物し....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
かれて宿泊する公使らを衛ることになった。尾州兵は智恩院。薩州兵は相国寺。加州兵は南禅寺。 外国使臣一行の異様な行装を見ようとして遠近から集まって来た老若男女の....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
れを受けとめるべく米友は、前のような惨憺《さんたん》たる苦心に及びませんでした。南禅寺の楼門でする五右衛門の手裏剣を柄杓《ひしゃく》で受けた久吉《ひさよし》気取....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
る。一朝一夕の病気ではない。想像するに腎臓《じんぞう》などの病で終ったのだろう。南禅寺霊三和尚の慶長二年の氏郷像賛に「可惜談笑中窃置|鴆毒《ちんどく》」の句が有....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
附いて来たので、京都へ廻って月並ながら例の祇園、清水、知恩院、大仏などへ行って、南禅寺の門前の瓢亭で共に酒を飲んだ、この時に京都で始めて電車に乗った。これも東京....
我が宗教観」より 著者:淡島寒月
まった。その毀れた橋の上で坐禅を組んだので、大河内子が止めたそうでした。それから南禅寺に行った時にも、山門の上で子にすすめられて坐禅をしたという話でした。ところ....
東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
ら聴いた。翌年には同じく蘭坡からして山谷の詩の講釈をも聴いた。蘭坡和尚というのは南禅寺の詩僧である。また当時山谷とならんでもてはやされた東坡詩の講義をば、桃源周....
雪の宿り」より 著者:神西清
。この度の戦乱の模様では、京の町なかは危いとのことで、どこのお公卿様も主に愛宕の南禅寺へお運びになります。一条家でも、御|縁由の殊更に深い東山の光明峰寺をはじめ....
モルガンお雪」より 著者:長谷川時雨
結婚して米国へ一緒に立ってから、一年ほどして、京都へ遊びに帰った時のことだった。南禅寺の近く、動物園のそばの、草川《くさかわ》のほとりの仮住みの別荘へ、 「あん....
勝負師」より 著者:織田作之助
観戦記事が連載されていた一月限りのものであったかと、がっかりした。 ところが、南禅寺でのその対局をすませていったん大阪へ引きあげた坂田は、それから一月余りのち....
吉岡芳兼様へ」より 著者:織田作之助
田翁の聴く雨とを照応させて「聴雨」としたのです。因みに坂田翁が木村八段と対局した南禅寺の書斎には「聴雨」の二字を書いた額が掛っていたとのことです。 次にこの小....
子規居士と余」より 著者:高浜虚子
つて見た白木綿の兵児帯姿ではなく瀟洒たる洋服に美くしい靴を穿いていた。二人はまず南禅寺へ行って、それから何処かをうろついて帰りに京極の牛肉屋で牛肉と東山名物おた....
白花の朝顔」より 著者:泉鏡花
が――お酌。 (ずッと見物をおしやしたか。) 宇治は、嵯峨は。――いや、いや、南禅寺から将軍塚を山づたいに、児ヶ|淵を抜けて、音羽山|清水へ、お参りをしたばか....
東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
のが多くあった。高野山学林、三井寺学林、比叡山学林などに明了に分っている。京都に南禅寺学林、妙心寺学林かと思われるものがある。外に足利学林がある。大宮学林(熱田....
美味い豆腐の話」より 著者:北大路魯山人
する人は、こんな豆腐を選ばなくてはならない。 嵯峨の釈迦堂付近、知恩院古門前、南禅寺あたりの豆腐も有名だが、いずれも要は良水と豆に恵まれたせいだろう。 湯豆....