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南蛮寺
「南蛮寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
南蛮寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「神神の微笑」より 著者:芥川竜之介
ntino はたった一人、長いアビト(法衣《ほうえ》)の裾《すそ》を引きながら、
南蛮寺《なんばんじ》の庭を歩いていた。
庭には松や檜《ひのき》の間《あいだ》に....
「おしの」より 著者:芥川竜之介
ここは
南蛮寺《なんばんじ》の堂内である。ふだんならばまだ硝子画《ガラスえ》の窓に日の光....
「るしへる」より 著者:芥川竜之介
》六年、加賀の禅僧|巴※※《はびあん》なるものの著した書物である。巴※※は当初|
南蛮寺《なんばんじ》に住した天主教徒であったが、その後何かの事情から、|DS 如....
「白くれない」より 著者:夢野久作
り。すなはち心得たる体にて彼の唐人に誘はれ行くに、港の入口、山腹の中途に聳え立つ
南蛮寺の墓地に近く、薬草の花畑を繞らしたる一軒の番小舎あり。その中に山の如く積み....
「灰燼十万巻」より 著者:内田魯庵
派の僧侶が本国に寄せた天文十八年(エズイット派が初めて渡来した年)から元亀二年(
南蛮寺創設後三年)までの通信八十八通を集めたもので、一五七五年即ち天正三年アルカ....
「ドナウ源流行」より 著者:斎藤茂吉
という虫目金とか、久能山東照宮にある西班牙マドリー製の置時計とか、京都市妙心寺の
南蛮寺鐘とか、そんなものを西洋の遊覧者が見て起す気持に似ていたかも知れなかった。....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
うけた。森鴎外先生には「曽我」を新しく書いて頂いた。第二回には、木下杢太郎氏の「
南蛮寺門前」を中沢弘光氏の後景、山田耕筰氏の作曲でやった。吉井勇氏の「句楽の死」....
「南蛮秘話森右近丸」より 著者:国枝史郎
に藉口し耳目を眩し、人心を誘い邪法を用い、日本の国を覬覦している。唐寺が建った、
南蛮寺が建った、それを許したのは信長だ! なぜ許したのだ! なぜ許したのだ! 危....
「田沢稲船」より 著者:長谷川時雨
ら》の、塔の屋根は尖《とが》っているが円く、妙致を極めたものだった。 「昔だと、
南蛮寺とでも、いったのでしょうね。これがニコライ寺さ。露西亜《ロシア》の国教です....
「切支丹転び」より 著者:田中貢太郎
しく黒ずんで見えた。 それは慶長十七年三月のことであった。切支丹の邪宗を禁じて
南蛮寺を毀った豊臣秀吉の遺策を受け継いだ幕府では、オランダ人からポルトガル人に領....