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「南陽〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

南陽の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
北斗と南斗星」より 著者:田中貢太郎
趙顔という少年が南陽の平原で麦の実を割っていると、一人の旅人がとおりかかった。旅人は管輅という未....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
なかった。 慶忌 張允恭は明の天啓年間の進士(官吏登用試験の及第者)で、南陽の太守となっていた。 その頃、河を浚う人夫らが岸に近いところに寝宿りしてい....
十二支考」より 著者:南方熊楠
大いに猟してやっとその雌の方を獲、祠《ほこら》を立って祭ると光あり、雷声す。雄は南陽に止まるに赤光あり、長《たけ》十余丈、時々来って雌と合う。故に俗にその祠を宝....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
の有名な出師《すいし》の表《ひょう》の中に、『臣モト布衣《ほい》、躬《みづか》ラ南陽ニ耕シ、苟《いやしく》モ生命ヲ乱世ニ全ウシテ聞達《ぶんたつ》ヲ諸侯ニ求メズ』....
梟雄」より 著者:坂口安吾
て快く思わなかったが、それは才器に距たりがありすぎたせいでもあった。 ただ一人南陽房という弟々子が彼に傾倒して勉強したが、これも利発だったから、やがて諸学に通....
織田信長」より 著者:坂口安吾
、弁舌のさわやかなこと、若年にして名僧と称されるに至った。 二歳年少の弟弟子に南陽房という名門の子弟がいて、これが又、学識高く、若手にして諸学に通じる名僧で、....
食道楽」より 著者:村井弦斎
川さん、決してそんな事をおっしゃるな。貴君《あなた》にも似合わんでありませんか。南陽の諸葛《しょかつ》が廬《ろ》、西蜀《せいしょく》の子雲《しうん》が亭、何の陋....
三国志」より 著者:吉川英治
、高々と、王旗をひるがえした。 「漢室万歳」 「洛陽軍万歳」 「朱雋大将軍万歳」南陽の諸郡もことごとく平定した。 かの大賢良師張角が、戸ごとに貼らせた黄いろい....
三国志」より 著者:吉川英治
ってみると、その陣容は大したものであった。 まず―― 第一|鎮として、後将軍南陽の太守|袁術、字は公路を筆頭に、 第二鎮 冀州の刺史韓馥 第三鎮 予....
三国志」より 著者:吉川英治
は、奇襲を試みたが、徐晃は敵方へ走ってしまったし、所詮、勝ち目はないと見たので、南陽(河南省)へと落ちのび、そこの袁術を頼って行った。 ――かくて、帝の御車と....
三国志」より 著者:吉川英治
げたまま嘲笑って、 「貴様たちは、史書を読んで、史を生かすことを知らんな。むかし南陽の張津は、交州の太守となりながら、漢朝の法度を用いず、聖訓をみな捨ててしまっ....
三国志」より 著者:吉川英治
え得るようにしなければいけません」といった。 また自分が、保券の証人となって、南陽の富豪|大姓黽氏から、銭千万貫を借りうけ、これをひそかに劉備の軍資金にまわし....
三国志」より 著者:吉川英治
しまねきながら、 「それへ来たのは、鉞をよく振るとかいう零陵の小人か。われはこれ南陽の諸葛亮孔明である。聞きも及ばずや、さきに曹操が百万の軍勢も、この孔明が少し....
三国志」より 著者:吉川英治
、すでに蔡・潁(河南省・安徽省)から淮水へ下って、その先鋒は早くも寿春(河南省・南陽)へ近づきつつあると伝えられた。そしてこの飛報の至るごとに、いまや呉の全将士....
三国志」より 著者:吉川英治
使をして、平西都督の印綬を持たせ、また詔をもって、事にわかに、 (汝、国を憂い、南陽諸道の軍馬を糾合して、日を期し、長安に出るあらば、朕また鸞駕を備えて長安へむ....